うしろめたさと自己責任論者との関係


【貧困化すると更に下の者を叩く】

(まぁ、このブログの内容も11/7(水)の休みの時にまとめてカキコしている内容で、自動更新されるようにしています。)

90年代ぐらいまで自己責任論は日本ではマイナー思想であり、私のいいかげんな主観的な判断からすれば、2000年代になってデフレが問題視され、そこで小泉・竹中の構造改革あたりから、跋扈(ばっこ)しだしたのではないかと存じ上げます。

”成功者を妬む社会であってはならない!”
”感動した!痛みに耐えてよくがんばった!”

とか言って。

バブルの時までは生活保護受給者を叩くことなど当然のことありえず、むしろ弱者叩きはイジメでしかなくみっともないと思われ、誰もそんな卑しいことはしなかったわけです。

構造改革・消費税増税などを通じて、多くの人が貧困化しだしてから、自己責任論が跳梁跋扈したのでしょう。


【攻撃の置き換え】

霊長類学者のフォルカー・ゾマーのいう「攻撃の置き換え」は、マカクザルの観察によるものですが、

①弱い猿は強い猿に逆らえずそのストレス(不満)を抱え、②うっぷんばらしに更に下の女猿を叩くようになり、③その女猿がまた同様に子供の猿を虐待するという

一連の流れのことを指します。

生活保護受給者叩きも同様であり、ブラックな労働環境に陥るとその労働改善なんて事実上不可能であり(転職先なんてブラックなところばかりだし)、そうなると

”俺は我慢して労働してるのに、生活保護受給者は甘えている!”

となるわけです。


【ルサンチマンは同胞である証し】

三橋貴明さんは公務員叩きなどは単にルサンチマンと言いますが、ことはそんな単純でなく、嫉妬というものはいわば権利の要求であり、嫉妬が女偏であるのも女性は平等を重視するからなのです。

平等であるが故に権利を欲求し、それが故に嫉妬するのです。

公務員叩きとかルサンチマンと言いルサンチマンを抱く者が小さい人間のごとく言いますが、別にその公務員が南アフリカの人間ならルサンチマンなど抱くわけなく、

同じ日本人で同胞だから

ルサンチマンを抱くわけです。
ある意味まだ正常な現象なのです。


【平等の大切さの意味】

中野剛志さんを好きな人なら誰でも知っている、トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』でこう発言しています。

>一国の人民の中で地位がほぼ平等であるとき、誰もがほぼ同じ考え方、感じ方をするから、誰にとっても他のすべての人の感覚を瞬時に判断することができる。

>同胞が自分と平等な地位にあるときに対して人間性に満ちた対応するその人間が、ひとたび平等が消えると、同胞の苦痛に無感覚になる

これは官と民も格差でも同じく、公務員が定年65歳にまで簡単に雇用延長でき、老後も退職金や共済年金などで身分保障され、一方で中小零細企業では退職金なしに雇用延長なしで、あるとしても日当何千円のパートであるとか、そんなんで同じ国民・同胞意識などもてるわけがありません。

沖縄や東北の被災地のごとく、日米地位協定・普天間、TPP参加・農協改革などされると、日本国・中央政府から見放されたと思うの一方、東京を含む都市部はふるさと納税がどうとか地方には無関心でこれらの問題も同様です。

これは普通の心理で、どうしても人間は同じような地位や経済状態でなくなると、同じ人間と思えなくなり、その人の不幸事に対して対岸の火事のごとく思ってしまう人間の悲しい性なのです。


【官と民の格差は意図的】

過去ログでこれは述べたことなのですが、マーガレット・サッチャーが労働組合叩きや構造改革を断行する際に使った方法が、

公務員(警察)の厚遇

なのです。

官と民を分断させて暴動を鎮圧させるための、グローバリストの常套手段なのですが、グローバリストにとって同胞意識をもたれたら相互扶助されてたまったものじゃなく、社会全体を常に疑心暗鬼の状態にしないといけないわけです。(グローバリストは弱者同士対立させます)

安倍総理は企業に65歳定年を義務づけしようとしているけど、年功序列で高くなった給料を3割カットとかこんな甘いことが民間企業でできるわけなく、断行すればそのしわ寄せが若年者の低賃金となって実現するだけです。


【成功者が弱者を叩く理由】

さて、話が逸れましたが本題にはいります。

不思議なのが、弱い者が弱い者を叩く「攻撃の置き換え」による自己責任論でなく、なぜか松本人志や百田尚樹に高須院長などの経済的な成功者までが、弱者叩きをして自己責任論をかざしていることです。

こうなったことについて一つの仮説を上げます。

それは税制の改正にあると思います。


【所得格差が拡大するのも当たり前】

 

1986年では88%の最高税率だったのが2015年では55%と下がってしまい、そのしわ寄せが消費税や軽自動車税などの庶民増税となり、庶民に負担を強いることになってしまっています。

ぶっちゃけ、89年の消費税導入以降で所得税も法人税も税収としては降下の一方で、消費税は跳ね上がり社会保障費の分配率も低下して、つまり

庶民は貧乏になり金持ちはより金持ちとなったわけです。


【救いの思想の自己責任】

実はネトウヨ思想の経済的な成功者の多くは、この逆進性の税制変更の恩恵に相当あやかっており、その一方でモロにうしろめたさを感じているではないかと私は思うわけです。

それほど活動内容に変更もなく、労働時間が増加したわけでもなく、しかし税制を変更するだけで手元の富が自動的に増加してしまうわけです。

その一方で多くの民が貧困化するわけですから、これでうしろめたさを感じないほうが不思議です。自分が貧困化していると思うのでしょう。

ここでこれを打破する救いの思想が

自己責任論

なわけです。


【続(ケインズに続く)・自己責任の終焉】

こんな糞みたいな思想の終焉はケインズも論文で指摘したぐらいで、生まれた時代や家庭環境などの影響を度外視することなど不可能で、自己責任を語ること自体恥ずかしいこと極まりないわけです。

 

格差はどうしても子供に受け継がれやすいもので、それを打破していたのがかつての日本の累進課税の制度であったが、その恩恵に存分にあやかって育って成功した連中が、次の世代には逆進課税の制度を自己責任論で強要していると、私は分析している次第であります。

インフラ整備の恩恵にあやかった団塊世代がいざ自分が引退すると、自分のための社会保障費充実のための消費税増税に賛成するのも同様です。
自分が死んだ後は関係ないと子孫への投資を怠っているということです。
国の借金とかデマを信じて。

用語説明ー抽象的とは


まぁ、前回のブログでは熱狂的愛国者が抽象的な日の丸の国旗や万世一系の天皇制の国家像を描いていて、リアルな目の前の同胞を軽視しているようなことを述べました。

では、その抽象的というものはいかなるものでしょうか。


【抽象的なカラス】

カール・ポパーの本に紹介されている考えかたですが、一般的にカラスと言ってもどのカラスを指しているのかわかりません。

2018年8月5日の午後5時のJR大阪駅の電線の上に止まっているカラスは具体的なカラスですが、単にカラスと言えばそれはどのカラスを指しているのかわからず、それは抽象的なカラスとなります。

志村けんさんの替え歌のカラスであるのか八咫烏なのかわからず、それは単なる抽象的なカラスとなります。

実はリアルなカラスではないのです。


【線といものはリアルでは表せない】

佐伯啓思氏の本では線というものは実はリアルには存在しません。
あくまでも形而上の概念でしかなく、黒板にチョークで引いた線はあくまでも幅があり、概念上の線には幅がなく単に長さがあるだけです。(幅があるとそれは四角形になります)

まぁ、これもオズベルト・シュペングラーが先に言及していることで、佐伯先生が思いついたものではありませんし、シュペングラーの前にもこのことに関しては言及していたと思います。


【国家という概念は歴史が浅い】

さて、ようやく本題に入りますが熱狂的愛国者に共通しているのは、国家といものがあくまでも抽象的な概念でなく、そんなものはリアルには存在しないということを認識してないと思えるわけです。

オルテガは国家というものを技術と若干皮肉っていますが、私も同感です。

なんせ、国家というものは近代国家と言われるぐらいですから歴史は非情に浅く、事実日本で国というものはあくまでも「くに」であり、藩を表し国家というものは存在していなかったわけです。

昭和の時代では「くに」はどこかと尋ねられれば、あくまでも山形とか福島とか山口とか答えたものです。

明治の藩閥政治により無理から日の丸=国家と無理から意識づけをしたわけで、それに関して熱狂的愛国者のほとんどが意識していません。


【混乱の自称保守派】

杉田水脈にしても自称保守にしても、まず用語の定義が曖昧であり、自分が何を思い何に所属しているのかまるで理解できていないように思われます。

例えばリベラルという言葉を容易く使用していますが、リベラルとはlibertyつまりは身体的な解放を意味しているわけで、コミンテルンのような左翼とかまったく意味が異なるわけです。

幼女監禁解放や奴隷解放を左翼思想とか言わないですね。

酷い論客になるとリベラル=マルクスと自家撞着・荒唐無稽な発言をしているわけで、これらの解釈が不十分なままでいると、自身が保守とか自称してしまうわけです。


【保守とは変化の漸次性を是とする】

実は自身が保守と名乗るが、なら保守とは何ぞやを定義づけが曖昧どころか、自身が保守のアンチテーゼであることを意識していない論客が非情に多いように思えます。

保守でない私から見て保守とは、

変化の漸次性を主張しているが事実何も変わっていない

そういう連中を保守と見ています。

彼らは私みたいな人間をリベラルと言い、一方で彼らはあまり自身を保守とは言いません

実は、自身を保守と言わない人間の多くが保守である場合がほとんどです。


P・S

本来、保守と私みたいなタイプの人間が対立しているはずなのですが、そこに周回遅れのグローバリズムの急進的逆進派が世の中を荒らしまくり、対立できない状況です。

彼ら彼女らの多くが自身を保守と言ってますが、TPP賛成に安保法制改正賛成で保守とかそんな感じです。米国隷従を保守するならまぁ言い返せないわけですけど・・・。

 

 

 

民主制の特徴


【200年前のアメリカ人と現代人の共通点】

トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を読み返したのですが、再発見するところが多く、200万年以上前の民主制の国民の特徴と現在とかなり共通しており、当時のアメリカ人の特徴が現代の文明国家の民の特徴だといえます。

トクヴィルは今後、世界中は平均化が伴い、国ごとの特徴がなくなると預言しましたが、まぁかなりそうなってきたと言えます。


【選挙は民意を反映しない】

よく、TVでもネットでも政治家を選んだのは有権者だから、ということで全権委任状を叩きつけていいような風潮がありますが、そんなの三百代言のまやかしでしかありません。

シュペングラーは、選挙は候補者を選ぶか拒否するかのいずれしかなく、政治が民意を反映しているという考えに釘を刺しましたが、私も同感です。

ましてや、投票率が50%台にまで落ち込み、得票数と議席数が乖離する現在の日本では、とても民が指導者を選択しているとは言えないでしょう。


【屠殺人に全権委任する羊の特徴】

トクヴィルは現代人(1840年代当時)の特徴として、

①指導されたい
②自由のままでありたい

というような二つの相反する情熱があると指摘していました。

いわば、①集権制と②国民主権と言ったところでしょう。

この矛盾した情熱をトクヴィルは、

”後見人を自分で選ぶことおを思って甘んじて後見を受ける。”
”鎖の端をもつのは人民自身であることを見て、誰もが後見を受ける。”

と揶揄し、民衆は地方自治の強い貴族制に警戒するあまりに国家に対する集権化を支持するが、いずれ集権化と個人の隷属が進行すると預言していました。結果ずばり預言は的中したわけです。

監視対称である権力者に対して、強いリーダーを望むとかの依存心なんて、まさにその証しでしょう。(私には理解できません)

そもそも、後見人制度って認知症の高齢者とかが財産管理や相続手続などできないから、代わりに重要なことは任せるという制度であって、精神上なんの問題のない有権者が強いリーダーを望むとかいよいよ家畜化した傾向といえます。


【落ちぶれていく日本人】

民主国家においての自由意志がどんなに重要であっても、民衆が自ら考え感じ行動する能力を少しづく失われていき、だんだん人間以下に落ちていくのを防ぐことはできないであろうとトクヴィルは指摘しておりました。

また、自治する習慣を完全に放棄した人々が、どうすれば従うべき指導者をうまく選出できるかを考えるは難しいとも、辛辣の指弾も浴びせています。

福島の復興支援として福島の農作物を応援している一方で、農協の改革やTPP11に反対しないなどということも、厳しい意見ですが同様だと思います。


【同じことを言い続けること】

じゃぁ、どうすればいいのかとなりますが、2012年12月の安倍政権誕生前から警告をほそぼそと個人レベルでしていたのですが、どうにもなりませんでしたし、どうすればいいのでしょうw

まぁ、社会心理学者のモスコヴィッシュの言うように、少数派は一貫して同じ事を言い続ける必要がありますし、常識という名の多数派の考えがまるで通用しなくなった時に備えて、別の選択肢を事前に用意しておくことでしょう。


【余計なことはしなこと】

それまではまぁ気軽に、間違っても圧力かけられて大東亜戦争をやらかした日本は、原発稼働中の中で北朝鮮に圧力をかけるとか、再び核兵器等の被害を受けるような挑発をしたり、米国に盲従してテロをおびき出すようなことをしないことです。

そもそも、対話と圧力って変ですよね。

この思考は消化と放火に相当しており、消防団が放火しちゃダメでしょ。


P・S

トクヴィルは神という存在を肯定しており、神の目は少数の繫栄でなく万人の最大幸福を見ると言及していました。

平等というもは、

”崇高でないがより正義にかない、その正しさはこれを偉大にも美しくする”

とも言っております。

また友人に

”パスカル、モンテスキュー、ルソーと毎日を共に過ごしています”と手紙に書き送っていたようで、かなり進歩的な思想の持ち主でもあり、共感もてるところがあります。

トクヴィルはエドマンド・バークやオルテガらと異なり、決して保守的ではありません。

 

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なぜダーウィンの進化論がメジャーなのか


【なぜダーウィンの進化論なのか】

ダーウィンの功罪はその思想の元となった思想が、マルサスの人口論にあるわけであり、なぜあのような欠陥だらけの進化論が今だに受け入れられているのでしょうか?

それもそのはず。
今の資本主義の根底となっている思想と相性かいいからであり、ぶっちゃけブルジョワ権力者に利用されたからです。


【ラマルク進化論はダーウィン進化論よりも古い】

そもそも進化論なんてダーウィンが唱える前から、フランスの植物学者ジャン・パプティスト・ラマルクが半世紀前に唱えており、ダーウィンの進化論よりも誤りがないとされています。

ダーウィンと異なり生殖のための最高の機会をめぐる競争の法則の他に、協力もしくは共働への進化の傾向を見抜いていたわけです。

そもそも弱肉強食ならば、なぜライオンや虎などの強食側が絶滅寸前であり、それに対して穏やかなペンギンは集団で体をこすりながら体を温め合い、外側で体温が低下したペンギンは内に入れられ保護されるような、相互補助の精神の高い種族が生き延びるという現実からして、矛盾しているわけです。

ラマルク進化論が表に出るとブルジョワ政府にとっては、自己責任とか貧者切捨て、逆進性の高い税制、これらを肯定する競争が社会を活性化させるとかが、嘘っぱちだと一般庶民に知られるとまずいわけです。

ダークサイドにとってはまずいということです。


【同じ信仰】

熱狂的愛国者とグローバリズムと非常に相性がいいのも当たり前であり、

マルサスの人口論 → ダーウィン進化論 → 社会ダーウィン主義 → 優生学

という流れをくんでいるからです。

最後の優生学がナチスのユダヤ人虐殺や障害者の虐殺とつながり、タブーとされているのですが、生活保護受給者叩きや障害者を社会から排斥しようとするこの思想は、起源を同じくするわけです。

障害者自立支援法とか小泉政権時に施行されますが、男女雇用機会均等法と同じく単なる少数派排斥でしかなく、ぶっちゃけ同胞を邪魔者扱いしており、ブルジョワ政府にとっては国民を労働者か消費者というものさしでしか見られないから当然の現象です。

自分らで貧困や社会から排斥してお荷物にしておきながら、更に苛酷な環境を強いる残虐な思想も、だいたいマルサスの人口論やナチスドイツも採用した優生学と、信仰は同じなのです。


【何がなんでも弱肉強食】

だいたい、ダーウィン進化論自体がむちゃくちゃなわけであり、今だに教科書にいきなり、無機質から単細胞生物が誕生したとか、もうありえないわけです。

だけど、ダーウィンの名を取り下げると、マルサスの残忍な思想が否定され、ラマルクのような進化論が採用されるものならば、人間の命令文・コマンドが書きかえられ、ブルジョワ政府の正当性が崩れるから、絶対に権力者はダーウィン進化論に固執するのです。

言葉においてまず先に支配体系を築いて、大衆を洗脳する。ジョージ・オーウェルの『1984年』でもありましたね。

これ、昔からやってるわけです。

 

EUを夢みていたオルテガ


【ヘイトなオルテガ】

オルテガの『大衆の反逆』をざっと読み直したのですが、バークと同様結構ヘイトな内容で、なんが長いブログを読んでいるような感覚でした。

結構、気分が悪くなるような論調であり、バークが世襲の原理を採用しているのに対して、オルテガは世襲を「死者によってくるられた虚像」「親の七光り」と、日本の保守派とは逆のことを述べていました。

オルテガもバークも大衆批判をしている点では共通しているのですが、民主主義が多数派の暴政と警告していたトクヴィルとは対峙的な立場であり、ぶっちゃけ平等を否定しているわけです。


【同胞では同列、しかし現実は序列】

同胞という言葉では同列であるが、身分・獲得した地位という意味では序列をつくっているという矛盾こそが、オルテガやバークの保守思想の脆弱さだと分析しております。

結局、社会の変動モデルでは、同胞である内部からの緊張が起動力となり、既存の社会のモデルの崩壊、大規模では国家が崩壊しているのが歴史の考察から明らかであり、この現象も当たり前で、同じ国民では同列に扱っているが、地位や名誉・財産・世襲・所得と明らかに序列をつくって矛盾しているからです。

ジョージ・オーウェルの『1984年』でもスローガンが、「同志諸君!」「兄弟!」と同列・同胞意識を高める言葉で共鳴させ、一種のモルフォジェネティク・フィールド(形態形成場)をつくるのです。

しかし、そんなものは根源では不協和が生じており、財弱でありいずれ崩壊します。ルーマニアで独裁者を追放した経由からもそうですし、北朝鮮も簡単に手の平返して金に対しての見かけの忠誠など捨てるでしょう。


【平等精神のトクヴィル】

私がトクヴィルが好きなのも、以下の考え方があるからです。

>それぞれの階級はそれぞれの意見を持ち、感情を持ち、権利を持ち、道徳習慣を持ち、バラバラの存在となる。

>共通点を持たず、同じように考えたり感じたりすることもない。
人々は互いに同じ人間であるとき、ようやくそうすることができる。

人々のランクがほぼ平等である時、同じような考え方や感じ方をし、互いの感情は瞬時に理解することができる。

なぜ、格差(地方と都市、性差、収入、生まれ、官民)が危険なのかは、社会ひいてはその構成体となる国家そのものの、存亡つまりは消滅・分裂・解体となるからです。


【EU構想のユートピアを推奨していたオルテガ】

ぶっちゃけ、オルテガはソ連の5ヵ年計画に対抗するものに対して、ヨーロッパ統合の必要性、つまりは現在のEUの体制を支持しているわけで、むしろ保守的な思想家を糾弾しております。

バーク、オルテガ、トクヴィルって、単に大衆の危険性を訴えたところの共通点があるだけで、まったく本質的には別個の思想です。
保守であるのはバークだけでしょう。

オルテガは国家を形成するのは血縁でも言語でもなく政治的統一の目標であり、言語や血縁は後から同化されると、むちゃくちゃ急進的な思想をもっております。

オルテガを語る時は単に大衆批判に使うのでなく、彼の根底にある残基なるものもセットにしないといけないわけです。


【なんかわからない超越パワーが必要な国家】

正直、オルテガの構想はむちゃくちゃで、国家というものは拡大して統一体の物理的な原理と見えたのを超越しようとする努力が必要であり、その歩みをやめると国家は分裂・分散・原子化すると述べております。

そもそも、その国家を構成するのが権力者であり限り、当然利害に基づいておりこんなもの、上意下達などかなわず必ず軋轢が生じ、再分配が崩壊すれば当然国家も危機にたたされ、それを抑圧するためにディストピアとならざるを得なくなるわけです。

そもそもオルテガもバークも起点が間違っており、構成体を維持するには序列をつくるわけでなく、有機体としてとらるわけだけど、役割分担の重要性で切り捨てること自体がおかしいのです。

だって、同胞、同じ日本人というカテゴリーでまとめながら、序列をつくった時点で別のカテゴリーのものさしを使用して、もうそれが矛盾なのでそれは国民国家でなんでもありません。


【マドリードの人間であるオルテガの鈍感さ】

オルテガはスペイン人ですが、マドリード出身でありいわば中央政府側の考えであり、アラゴン・カタルーニャのことをなんとか統一維持させようと必死です。

オルテガは言語の違いなど国家にとって問題でないと言及しており、故のヨーロッパ統一であり、しかし少数派のすぐれた者の支配とその他の大衆の服従者の関係が必要であり、隷従することは卑屈になるからダメで、少数派のすぐれた者に対して敬意を示せと、何やら無理なことを訴えているわけです。

過去ログで、カタルーニャがマドリードにされたエグイ歴史を少し紹介しましたが、社会の変動の起動力そのもをまるで理解してないように思えます。

カタルーニャはマドリードに、虐殺・女性の強姦、出世コースの断念、何度も言語使用禁止され、その結果の独立運動なのです。


【トクヴィルを軽視したオルテガ】

まぁ、EUユートピア構想の失敗はドイツ第四帝国化して失敗したわけですが、一つの国とするならば当然中心性の運動が必至、つまりは再分配が不可欠なわけですが、ドイツ側はそれを拒否しているわけです。

ブルジョワ東京政府と同じく緊縮財政一直線です。

三橋さんの言ってる通りで、人・モノ・金の移動を自由にして、もうそれは一つの国家のはずなのですが、EUは国家維持の再分配をするシステムでもないし、それを勝ち組のドイツ・フランスが拒否しておるわけで、うまくいくわけないのです。

比較的に自国通貨を維持した国はその災禍から逃れているわけですが。

だから、グローバリズムは危険であり、これを第一期朝貢中曽根政権から、ずっと宗主国の執拗な干渉が継続しているのです。まぁ、リーマンショック時に、「宮崎の瞬間!」という言葉が東京証券取引所で発せられたら、こんなことにはならなかったかもしれません。


P・S

オルテガは国家主義はある意味、狂気と糾弾しており、国民国家を提唱しているわけですけど、グローバル化して国民国家って、もう閉口するわけです。

 

ヤヌスの鏡の保守と急進


【過去を尊敬というよりも共感】

今、オルテガの『大衆の反逆』を読み直しているのですが、数年前と異なり解釈が変わってきました。

オルテガは一言で、現在がありません。過去と未来をさまよってるといったところです。

まず、過去に対して意識があり、没落した自分を感じる時に、過去を尊敬し称賛しそれを形づくった諸原理を生み出すと、このように書かれているが「そうか?」と思います。

日本なんてその典型例で、戦前と今と基本的には何も変わらず、同じ過ちを繰り返しており、安倍政権誕生前から危惧を覚え警告しても同じ過ちを繰り返し、今回の件でせいぜい

大東亜戦争を止められずズルズル泥沼にはまった先輩の葛藤が理解できた。

というものです。

尊敬というよりも共感てとこでしょう。


【平均人を批判するオルテガ】

何やら保守派に対しての疑念がよりいっそう噴出して、オルテガは大衆を「平均人」とまるでグラインダーで個性を削り取られた日本人をディスるような糾弾をしており、しかし日本の保守はこの平均人を支配する、常識つまりはコモンセンスといった、規範を大変重要視しており、これは自家撞着ではないかと自認しております。

ちなみに常識ってもちろん真実でもないし、ましてや真理でもなく、むしろ日本人の規範の「空気」に近く、そこには理の介入がなく、いわばロゴスなきロゴスのわけです。

「国の借金で日本は破産!もう少子化でダメだ!対GDPが増加!」

まぁ、これもいわば今でも常識扱いされており、コモンセンスってこの程度なのです。男が家事しないというのもコモンセンスですし、女性に対する姦通罪もそうです。


【ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)】

ただこの『大衆の反逆』は読み落としていた箇所がたくさんあり、オルテガは少数派の弾圧を否定していました。

大衆のいう「みんな」はあくまでも多数派であり、

オルテガのいう「みんな」とは

多数派と少数派が合わさった複雑な統一体

と一応はいいこと言ってるのです。

ここでも、少数派排斥の危険性を最近ストーカー被害に合われた、元伝説のバンド・ラムーのヴォーカルで客員教授でもある菊池桃子女史が提唱した、

ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)

にも関係してくるわけです。
これってかつて排斥された東北の陸軍のエリートと同じく、排斥した緊張(ストレス)が敵意となると、集団崩壊の本格的な起動力として作用するわけです。


【コインの裏と表の関係の保守と急進】

で、本題の『ヤヌスの鏡』ですが、プラザ合意と和製OSトロンの開発者が乗っていた日本航空墜落の事故のあった1985年、第一次宗主国奉公時代のドラマです。

内容を一言でいえば、二重人格の少女の物語で、『聖闘士星矢』の最強の黄金聖闘士の勝ち組双子座のサガみたいなものです。

過去ログで指摘しましたが、急進派っていきなり誕生するわけでなく、保守派によるつまりは既存の支配構造による社会の変動の起動力となる、緊張(ストレス)が敵意となり爆発した結果としての急進派の誕生であり、もともと進歩主義とは対して関係ありません。

保守への反動があって初めて急進となるのです。

『ヤヌスの鏡』の少女も厳しい家庭環境による抑圧により、緊張(ストレス)がまったく逆のもう一つの人格を誕生させるわけです。

これって、保守による反動としての急進の誕生に酷似してます。


【日本的経営で自我自賛していた80年代】

グローバリズムにしても、共産主義にしても、何にしてもパレートのいう派生体(思想みたいなもの)が進歩主義であり、これらを感情的な私人や集団が利用するだけです。(ジョージ・オーウェルの『動物農場』もアニメ化するにあたり、最後を改変させて社会主義への批判とスリ変えるのもそう)

従来のシステムに対して疑念が生まれるから、根源原則に触れるわけであり、そうなる要因は保守にあるわけです。

事実、男女雇用均等法が施行されてたが、今だに日本は閉鎖社会であり、その結果としての女性とグローバリズムとの結合であり、TOEICブームや英語化であり、全て保守派がこれらの急進派を育てたといえよう。

単に70年代に逆進しても、問題を起こした時点に戻るだけで、これじゃ、ビクトリア朝に帰れのマーガレット・サッチャーと何ら変わりません。

保守と急進はコインの裏と表の関係であり、進歩思想は後付けでしかないのです。


【急進と根源とは違う】

そもそも急進的の英語のradicalはラテン語のradixが由来で「根」という根本的という意味であり、奴隷制度を廃止するとか、有色人種も白人も平等とか、女性の選挙権とか、自然権といった根本つまりは、根源原則によるものなのです。

日本語でいう急進的というのは、いわば衝動的な反動であり、何の反動かといえば保守に対しての反動なのです。『ヤヌスの鏡』で少女が叩かれてたりしたような反動です。

進歩的というよりもむしろ男性原理に偏った跛行状態から、女性原理とバランスのとれた状態に戻すといったほうが適切です。

事実、女性の社会進出が活発な国ほど、格差がなく平等社会です。

 

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オルテガは生の可能性に触れていることは、それに関しては慧眼だと思います。あくまでも可能性という点に関してはです。
シュペングラーやマルクスのごとく、世界線が一つではないのです。
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未来はどうにでもなるし、小子化や年金、医療の問題なんて最初からないのです。ましてや国の借金の問題なんてありません。
あるとしたら格差(所得・性差・地域・官民・世襲など)や朝貢国としての問題くらいです。
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不安を煽ってわざわざ問題をつくりだして、利を得ている権力者とそれに追従しておこぼれもらおうとする連中がいるだけです。
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主体と客体のバランス


【自我自賛の日本】

日本人は属性本意で、欧米は個人主義。

これは定説でありますがそれこそ二者択一でなく、問題を引き起こした次元で問題を解決しようとしても、そこに抑圧された欲求が蓄積され、より大きな問題を引き起こす起動力となるだけです。

今回、何を言いたいかは過去ログで紹介したように、日本的経営にしても武士道精神にしても、マネージメントやアドラーブームにしても、単に日本人受けする自画自賛の思想にすぎず、これらは一瞬、

「あぁ、自分の考えは間違ってはいなかった!」

と安堵の状態に陥りますが、そもそも自分の信念に疑いがある時点で、自分の信念を信じていないわけで、疑っている自分の信念を更に騙しているにすぎず、つまりはブレのある疑っている信念を信じようとしているだけなのです。

これは

「日本は素晴らしい!」

という自我自賛と酷似しており、自衛のための戦争から一億玉砕とスローガンが代わり、本土決戦前の前哨戦として沖縄をステージにして、原爆2発落とされ降伏し、沖縄を捨石にしたことに反省もし、次は沖縄バッシングしている内地の人間って、すばらしいのかと問いたくなります。

何度も私が言及している通りに、震災や原発事故のあった東北に対しての酷い扱いもそうですし、東京オリンピックなんかで中央政府は浮かれている場合じゃないし、グローバリズムで東北や地方を切り捨てて、どこが素晴らしい国なのかよく理解できないわけです。

オーギュスト・コントのごとく橋の上から川に飛び込んだ老酔狂ではありませんが、日本人に必要なのは客体重視のスタイルでなくむしろ、

自分の頭で考えろ

であり、むしろ不足しているのは、欧米スタイルの社会心理学者北山忍氏のいう「相互独立的自我観」なのです。

これ以上、客体重視で自我自賛してどうするのか。


【客体重視からなる客体重視による更なる問題】

で、私の友人で科学至上主義、客体重視の人が好きな自己啓発本の一つで、D・カーネギーの『道は開ける』なのですが、これはアドラー心理学と同様であり、相互強調的自我観つまりは属性本意の日本人にとっては、オススメできません。

属性本意で長いものに巻かれて、たまりにたまった緊張(ストレス)を、より貯める結果となり、本人にももちろん社会にも好影響を及ぼすとは思えません。

2年以上前に買ってほったらかしなのを一部読んでいるのですが、よくないですね。

 

これで、更にたまった緊張を解消しようとして、客体に対して攻撃・例えばうつ病の人に対して、

うつ病は甘え

というムチャクチャな自分の都合によい、公式をつくってしまうわけです。

こういう人にはむしろ、抑圧された緊張を継承すべく、癒しが必要なのです。
リニア農業治療とかして。


【間違いだらけの処方箋】

うつ状態の人に対して、

「他人を喜ばす方法を考えろ!」

って根本が間違っているわけで、単に問題をスリ代えているだけで、恐らくこれをするとますます、抑圧された感情や欲求が蓄積されて、その度に客体に対して奉仕という名のコビが助長されるだけとなるでしょう。

これでもうつ病が改善されないのなら、自虐的になり周囲からも甘やかされていると責められ、負のスパイラルに陥るのです。
アドラーブームの後、まったく日本の閉鎖的な社会が変化してないのが、それを証明しているのではなかろうか。

そもそも、

主体重視 = 協調的 or
客体重視 = 協調的

という2択が謝りであり、その抑圧された緊張に対する攻撃対称が、主体か客体かの違いになり、ますます社会は混乱に満ちるわけです。
低賃金労働者が生活保護受給者を叩くような、負のサイクルもこれらによるものでしょう。

 

(『格差社会と国家の衰亡』より)


【他者と分離して初めて可能となる攻撃】

うつの人のまじめな人が多いのは、問題を全て自分でかかえて解決しようとし、思考回路がショートしてしまい自分を責める、つまりは主体に対して攻撃を与えるわけです。

これも根本は罪悪感なのですが、社会ダーウィン主義者や優生学信仰者、グローバリスト・ウヨク思想の多くは、主体でなく客体に攻撃を与えるわけで、だから、生活保護受給者や障害者、在日、近隣諸国、地方、母子家庭、貧困者、気の弱い同僚と攻撃を与えやすい客体に攻撃を加えるのです。(宗主国や権力者に対して攻撃しませんでしょ?)

同じ人間、同じ日本人というカテゴリーでは同じなのに、同胞を叩くというカラクリは、罪悪感から主体と客体に分離し、同胞という統一された関係を解消し、初めて攻撃を加えることが可能となるわけです。

過去ログの3年B組の腐ったミカンと同じです。

主体と客体と分離させることにより、同胞パラドックスが解消され、攻撃することが可能となるのです。

まぁ、これは、鏡に映った自分に対して攻撃するようなものですけど。


【多面性を管理することは不可能】

近代化の特徴として分化なのですが、各自がいちいち自分がどういう立場でどういう思想から言動しているなんて、チェックすることなど不可能に等しく、だから皆、混乱状態に陥るわけです。

(『格差社会と国家の存亡』より)

もともと社会というものの定義は役割分担によるところが大きいのですが、有機体として肉として一体である主体に対して、多面的な側面を背負わすこと自体が混乱する原因となり、使い分けられるわけがないのです。

愛国者と言いながら国民の側面が欠けた結果として、沖縄や東北・地方、生活保護受給者や母子家庭などの切捨てであり、その場合は万世一系とか白人国家に勝利したとか大東亜戦争によりアジアを植民地から解放したとか、もう観念圏に完全に精神は支配されているのです。(まぁ、このモルフォジェネティク・フィールドにゾッコン常時接続アクセス状態なのでしょう)

 


P・S

今だに精神上近代化を遂げていない日本が、今さら契約の概念なり分化という概念を植えつけている時間などなく、まぁここでは本来統一された自己を形成するのも一つの手ではないでしょうか。

だから、アイデンティティ・自己統一性なのです。

統一性(時間でなく共有)をもって自分が自分であるというものです。

しかし、これらの手法も、権力者らのダークサイドに悪用されて、スターリンや大手ブラック会社の経営者みたいに、ジョージ・オーウェルの『動物農場』の屠殺場につれていかれて馬肉となる忠誠心の厚いボクサーみたいに、改造されるだけです。

「わしがもっと働く!」みたいに葛藤することを避け、ストックホルム症候群に陥るがごとく、洗脳されるのです。

 

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エドマンド・バークの亡霊②


【二択を迫る者はニセモノ注意

約五年ぶりにバークの『フランス革命の省察』を読んでいるのですが、佐藤健志さんの訳はかなり斬新というか、ふざけてるっぽく、まぁ言わんとすることがわかります。

だけど、案外、読み落としているところもあり権力者の大衆煽動の手法の一つの、

「悪徳を放置する or 制度の全面廃止」
「王政による専制支配 or  新政府による専制」

と二者択一の選択を迫るものも記述されておりました。
ジョージ・オーウェルの『動物農場』の羊どもの

「四本足はよい、二本足は悪い!」の単純思考と酷似しています。

これは立憲民主か自民党かの二択であったり、中国に隷従するか米国に隷従するかの二択も同様です。

TPPに反対すると、

「鎖国するのか!」

という発言もそうですね。(いや、TPPと鎖国までには大きな隔たりがあるでしょ)

後は社会主義か民主主義の二択もそうです。
某ブラック会社の取締役の

「週休7日か過労死」

の二択も同じです。(中庸って知らないのかよ)

私は不安や恐怖を煽る連中はニセモノだと過去ログでも発言していますが、二択を迫るのもニセモノだと思います。


【思想なんて仮説止まり】

科学ですら反証可能性があるわけで、ましてや社会科学など尚更であり、当然私の発言も仮説止まりであり、真実なんてどうでもいいのです。

しかし、黙っていたら残虐思想の連中を放置して、ホロコーストに加担したこととなり、そこは別の選択肢として提供する立場にあると、3.11で東北支援と言いながら、舌の根も乾かぬうちにTPP参加交渉に国民のほとんどが賛成の意を表明し、私は黙認するのをやめました。

まぁ、右からも左からも上からも下からも、ついでに前から後ろから畑中葉子状態で叩かれ、そもそも邪心溢れる成功法則の本から再開した読書が、何やら逆方向に進み、方向性を修正している次第です。


【ネトウヨ今昔物語】

まぁ、この本を読み返して発見が多く、当時宮廷・貴族・聖職者のことを物書きがデマゴーグのやり口で悪く描写し、これが貧民の影響を与え、イヤミな成金と手を結んでいるうことも記述されていました。

これ、貧困熱狂的愛国者とグローバリストの関係に非常に酷似しています。

のちに近代化が進行し、貧困者は労働者となりイヤミな成金の職業奴隷として、酷使されるわけです。そして、次にこの労働者がマルクスみたいなグローバリストと双子的関係の抽象合理主義のペテン師に煽動されるのです。


【弾圧してはいけない】

バークもいいことも言及しており、貴族や聖職者などに対して、

「君はスパルタを征服したのだから、今度はスパルタを引き立ててやるがよい」

と引用しており(佐藤さんの意訳かもしれないけど)、これは古代ローマ哲学者・政治家のキケロの言葉だそうです。

私がかつての関が原の負組が幕末東北を奴隷のごとく扱い、それが戦前の陸軍の国家破壊の起動力となり、これこそ学習するべきことなのでしょう。

30年以上放置した第一線で活躍したい女性を隅に追いやった末、グローバリストと結びついた例が非常に多く、これも同じく既存の国家のシステムの破壊に積極的に加担しているわけです。

まぁ、バークも労働者に相当、蔑視しており同じ事やってるわけですけど。


【バークは無心論者を批判している】

ちなみに、バークは無神論者を批判しており、信仰心がないからこんなとんでもないことをやりだすと言及しています。

まぁ、日本人なんてその典型であり、ダーウィンの進化論を知らずして、それを支持しており、対峙している理論を全く検討せず、しかし天皇は天照大神の直系の子孫とか、もう最低最悪な思考回路を多くが持ち合わせています。

これも、

ルターやデカルトの理神論の大陸思想→英国でのロックやホッブスの社会哲学→ルソー

と神の存在が省かれ理性とも言えない理性もどきが、大衆の間で跋扈するわけです。

もうスミスやカールメンガー、マルサス、そしてダーウィンが決定打となり、ハーバード・スペンサー、ウィリアム・サムナー、優生学と歯止めが利かなくなり、それに対抗するがごとくマルクスの唯物論が登場するのですが、

無神論 VS 唯物論 ≒  資本主義 VS 共産主義

だいたい、こんな感じです。


【日本は無心論】

まぁ、日本人はこの壇上にすら乗っていなくて、石斧かついだ状態ですが。

「ダーウィン進化論を信じているが、天皇家は天照大神の直系の子孫であり、私は浄土真宗でクリスマスを祝います。」

だいたい、こんな感じでしょう。

おまけに、新渡戸稲造の『武士道』精神に酔いしれ、『日本的経営』とかエズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』とか読み自己陶酔し、よく自分で調べていないわけです。

生活保護受給者を叩いたり中韓叩いて米国隷従し、東北や沖縄を見捨てているのが事実だし、今だに国の借金とか言ってるのですから。その程度です。


P・S

バークの時代は金属主義で当然貨幣発行に限度があり、まさに緊縮財政で貧困不満が爆発して、それにかこつけた三文学者たちが、暴徒を煽動して革命を起こしたのでした。

これも社会の変動の起動力である緊張(ストレス)を、三百代言が利用するわけですが、この現象は日本で現実として起こっています。

ただこの時代のフランスと今の日本の違いは、故意に緊縮財政をして、不満を起こし公務員・医師会・農協・中韓北・生活保護受給者・在日と悪者にしたて、それをレントシーカーやグローバリストがやらかしているところです。

10代・20代で右翼思想やユダヤ陰謀論とか中二病を患っていれば、いい年したTVタレントが熱狂的愛国者となることもなかったかもしれません。(中国包囲網でRCEPって何じゃそりゃ)

とりあえず、小中学校の図書室には、中沢啓治氏の『はだしのゲン』と小林よしのり氏の『戦争論』と宇野正美氏の『ユダヤが解ると世界が見えてくる』の本を置きましょう。

早い段階で見えない敵と戦うことは、必修科目です。

 

 

エドマンド・バークの亡霊


【安倍政権誕生させて自決しても仕方ない】

最近、佐藤健志さんが訳編したエドマンド・バークの『フランス革命の省察』を読み返しているのですが、かなり解釈が変わってきました。

安倍政権を誕生させ取り返しのつかないこと事態に陥っており、それに関して一部の保守思想の連中は、

「安倍政権を支持してこんなことになってしまった。子孫に申し訳ないから自決しようと考えたことがある。」

と殊勝な心がけというか。力抜けよと思います。

そもそも投票に行かない無関心層が、小泉フィーバーとか民主党政権交代フィーバーの時にだけ投票するから、こうなるのだと自認している次第です。

(『格差社会と国家の存亡』)より

 

格差が拡大するとコミュニティ参加の意識が希薄となり、投票率が落ちるのは先進国の特徴でしょう。この負のスパイラルを権力者は利用しているから、やりたい放題できるのです。

 

(『格差社会と国家の存亡』)より

滅びる民族は滅びるべくして滅びる。これは普通のことです。肩に力いれても仕方ありません。


【権力者は監視すればいいし、野党を育てればいいだけ】

人間生きてて失敗しないことなどなく、そんなことで自決していたら命がいくらあっても足りません。

それだったら学習して、大陸では本能的に身につけているパワーバランスの思考を身につけること、つまりは与党と対峙する思想の野党を育成することを考えたほうがいいと思います。

そのほうが、建設的です。

あの秀逸な佐藤健志さんも、プロローグで民主党政権誕生とフランス革命と同一視していますが、まず民主党の政権交代は暴力の末でなく正式な手続を踏まえており、自家撞着に思えます。

私からいえば監視対称である権力者に対して、過剰な期待を寄せることがそもそも間違いであり、羊が飼い主に対して過剰な期待をするようなもので、屠殺場につれていこうとして解体されるのかそれとも、毛を刈られる一方できちんと保護してくれるのかと、見極めることです。

ジンギスカンに自らなるように監視するのです。一応、数の上では勝ってるのですから。(この数の多さが災禍でもあるが)

「四本足はよい、二本足は悪い!」(民主党はよい、自民党は悪い!)と言ってるようではいけないのです。


【バークの謬見】

まぁ、野党を育てるといっても宗主国から横槍が入り、その野党に潜入している宗主国のトロイの木馬がいるので、すぐ潰されるけど一応そういうことです。

バークは

「格差や不平等をなくすことは、どんな社会にも不可能なのだ」

と言及してますが、だから国家が崩壊していくわけであり、逆に国家が形成されていく過程は中央集権化により、一度財源が集められ再分配するシステムが構築されることにより国民意識が形成され可能となるのです。

ビスマルクがドイツを統一させたのも、福祉を充実させ国民意識を高めたからであり、明治政府もそうなのです。それまでは日本という国家の概念すらありませんでした。「くに」は藩を意味していたのです。


【イギリスが革命が起こらなかったのは救済法のおかげ】

バークに関しては突っ込みどころ満載なのですが、イギリスがフランスと異なり革命が起こらなかったの大きな要因は、まず「救済法」の存在です。

スピーナムランド法がその典型であり、教区ごとに貧困者の救済がなされており、いわばビルトインスタビライザーの存在により、革命が阻止されていたという解釈もあります。

まぁ、カール・ポランニーがその論客の代表ですけど。

1960年代あたりから米国で、このスピーナムランド法が悪法扱いされ、丁度その頃からミルトンフリードマンがインフレで不況ということに漬け込み、現在のグローバリズムに結びつくわけです。

そうです、全てはつながっているのです。Walking this way.


【社会の変動モデルを知らなくて当然のバーク】

中世末期のバークの時代には当然、社会の変動モデルの存在など当然なく、革命後のフランスの混乱のために出現したのが、社会学の祖と言われたオーギュスト・コントであり、それは総合社会学と言われ、今の社会学とはまったく内容が異なります。

彼はもっと精度の高い社会科学の必要性を訴えていたのです。

ちなみに、コントは幼馴染を忘れられずその幼馴染をマリア様みたいに信仰し、「人類教」などなる新興宗教を独自であみだし、嫁は学者だから金もってるだろうという婚活女であり、のちに貧乏だとわかると家を出て行ったようです。(時代を切り開く学者ってみんな頭のネジがぶっとんでいるのです)

そこから発展した社会学の多くの社会の変動モデルげ変動の起動力となるのが、ほとんどが緊張(ストレス)であり格差や不平等がその一つであり、その社会の変化を促すことになるのです。

男女雇用均等法施行されてから、30年たっても働く女性の環境がまったく改善されていない結果が、グローバリズムと手を組むこととなったのも、社会の変動モデルでは必然的なのです。

第一線でフェミニストになるか、グローバリストになるか、リベラルになるか、で一番確実なのがグローバリストなのです。

女性の活用を批判していた老酔狂がいましたが、彼は

「主婦は毎日同じ家事をして大変だ」

と発言しており、家事をしている人物からすると閉口します。

毎日するから最適化が進み一定のリズムができ、洗濯機回しながら掃除してとか、一週間の献立を予め決めるとかできて楽になるのです。
勝間和代さんもそうしているそうです。
学者は本当に何にも知らないようです。家事ぐらい得意分野ごとに分担しろ。


【急進派の産みの親は保守】

グローバリストに力を注いだのが保守思想であることは間違いなく、これはイギリスとフランスの例をみてわかるのように、ビルトインスタピライザーの存在が必要なのです。つまりは不満を解消する政策です。

実は保守派という存在が急進派を誕生させ、急進派が可笑しなことをしだして初めて、急に反対しだす。

これが歴史上繰り替えされているだけです。

急進派が無茶しだした時に、保守は慣習や伝統とか祖先とかいかにも聖人ぶった発言をするわけですけど、働く女性や障害者に対する排斥行為も慣習(因習)であり、これを放置するのも保守なのです。

だから、私は一度も保守などと自分で思ったことがないのです。思いたくもないし急進派の産みの親が保守なのですから。


【恋の結晶作用に陥る秀逸な学者たち】

学者がなぜ世襲議員を見て過剰に期待していしまうのは、古典とかばかり読んで先にコマンド(命令文)がインプットされ、目の前にいる可笑しな連中を自分の都合のいいように美化してしまうからでしょう。

そもそも、自分の趣向に合う理論であると、スタンダールのいう恋の結晶作用つまりはトランス状態に陥っており、誰が見ても愚鈍な人物でも、惚れると美人やイケメンに見えるが如く、可笑しな状態になるのです。

だいたい、第一次安倍政権で消費税増税、道州制、法人税引下げ、ホワイトカラーエグセプション残業ゼロ法案、これらのことをしようとしていたから、現政権が売国行為をすることは普通に予測できるはずです。

政府が嘘をつくのは当たり前です。堤未果さんじゃないけど。


P・S

最近、支持率低下してマスコミが手の平返して、安倍政権を叩いていますね。そりゃあ、自民党議員は他にもいるし、誰も歴史上最悪の泥舟に乗りたくないでしょう。

有権者も恥には弱いから、そのうち戦前戦中に熱狂して戦争を煽っていた連中と同じく、終戦後民主主義とか平和とか論調を変えたように、なかったことにするでしょう。

3月11日に黙祷した人物で、今日、東北のことを考える人間は何パーセントいるでしょうかね。こういうことです。シャトーブリアンの寓話の『殺される中国人』の世界です。

 

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