延命第一主義の弊害


【おやつ事故死、東京高裁が過失否定】

なんかドーナツ食べさせて、誤嚥(ごえん)による窒息で、業務上過失致死として訴えられていた准看護士がいて、しかし東京高裁で過失が否定されたそうです。


【延命第一主義という信仰】

私も人のことは言えませんが、もう日本もアメリカみたいに訴訟社会の嫌な世の中になりつつあり、大体85歳の高齢者って喉頭蓋(こうとうがい)という、気管支を蓋をする機能が低下して、そこに食べ物がつまりやすくなるのは当たり前であり、その結果死亡するのは寿命だと捉える考えがあるのなら、こんなもの裁判にすらなりません。

自然の摂理に逆らい延命を考えるから、 ドーナツ⇒ゼリー と変更して、液体が気管支に入るとなるとトロミをつけてゼリー状にして水分補強をさせ、それでもダメなら胃ろうの手術をして胃に直接栄養剤を注入する。

一日でも延命させればその医者は偉く、これが良い医者悪い医者の価値基準となり、ナースなんて医者のサポートをするから、延命第一主義になるしそれで医療過誤とかの訴訟問題になるなら更にナーバスになり、職場でイジメが跋扈したりするようになります。


【高齢者はじき死ぬもの】

この問題の要諦となるのは子供と高齢者を同等に扱っていることで、

高齢者ってもうすぐ死ぬもの

そういう認識がないから、今回のコロナの問題でもインフルエンザは散々放置して死亡者出していたのに、わけわからないことになっているのです。


【高齢者の命の商品化】

特養なんて施設に100人ぐらいおり、全員の情報を頭の中に入れる事なんて不可能であり、しかも頻繁にその情報更新されるし、そんなの40人程度の施設でも把握できている人間なんてまずいません

こんなことが訴訟になってるのかと目を疑ったのですが、以前台風でうちの塀が倒れてそれで保険会社と電話がつながらず、近所の保険屋本舗に足を運んでおばちゃんに保険会社に連絡とってもらいいろいろ話をしたのですが、自転車事故で高齢者が事故にあい死亡し、それで1500万円も賠償金が発生して遺族が受け取り、それでそのおばちゃんは「遺族側が得をした」とか言いました。

この発言に賛否が分かれるのですが、もともと高齢者は亡くなるものでそれに1500万円が加算されてと捉えるとこうなります。


【コロナと同じくリスクゼロ化】

こういうと、” 命の大切さを知らないのか! ”とかいう人が出てきますが、高齢者施設の現場を見ていると絶対にそんなことは言えなくなり、施設にいる多くの高齢者が「早く死にたい」「殺してくれ」とかぽろっと言葉を発し、こうなるのも鳥かごの中にいる管理された鳥状態にしているからであり、言ってみれば

ドーナツを食べるという自由

を奪われて、完全に管理体制に入っているからだとも考えられます。

大体、施設にいる高齢者は認知症が入っている人が多く、その人の発言よりも家族・後継人の発言が尊重されてどうしようもないのですが、ドーナツ食べてそれで亡くなる可能性はあるけどそれを是とするのか、それとも胃ろうから栄養剤注入してでも生きていきたいのか人それぞれだと思うし、今回のALSの安楽死問題でも「れいわ新選組」の2人は、こういう安楽死は障がい者を追い詰めることになると反対しており、しかし逆に

安楽死を求めている側の気持ち

はどうなるのかということになってきます。


【死への恐怖】

大西つねきの命の選別発言で「れいわ新選組」から離党する結果になったのですが、もし高齢者がもうすぐ亡くなるということを前提として、それを受け入れるのならコロナに感染してその結果死亡したとしても、

お迎えがきた

と捉えるかどうかって、信仰心というものが関係してくるし、もし死後なにももないという唯物的になるとどうしても「生」に対しての執着、つまりは「死」に対する恐怖が膨れあがり、その結果の「死」に対する引き延ばし行為としの「延命」という概念が生まれるのかなと思っています。


【死への恐怖を克服させる信仰心】

私は結構宗教を批判してますが、宗教もまた信仰心を育むものであり、日本に休日教会に行って牧師の話を聞くとかして、生活の中に死というものに対して馴染みのないこの虚無感が、『銀河鉄道999』のような機械人間を生み、今だけカネだけ自分だけとなり、自分が死んだ後の日本とかどうでもよくなり、その結果の緊縮財政なのでしょう。

将来にツケを回してはいけない!

という老害の言葉って、実は無意識では自分が死んだ後、自分の孫だけ助かり後はどうでもいいし、自分がまず現状維持でき延命することを最優先したい。

こういうプログラムにより、別の選択肢を提示されたところで、その前提を変えることは今までの自分を否定することになるし、そう自分の中で矛盾したところもあるのでしょう。


【古いものを手放す困難さ】

数字見せても無駄で世代交代がなぜ必要なのかは、人間って

「新しいもの」を身に着けることよりも、「古いもの」を手放すほうが難しく

その「古いもの」って中高年の場合は自分を構成する、

地位や名誉や信条や権威や生き方

そのものである場合がほとんどで、今まで生き残ってきた原動力となるそれを捨てることは自分自身を否定するものであり、そうそうできるものじゃないと思います。


【活きる権利】

私は兼ねてから、「生きる権利」を主張して「死ぬ権利」をないがしろにするのはどうかと思い、そもそも「活きる権利」をないがしろにしていることが問題であり、これって医療の延命という道徳とうか信仰が非常に複雑に絡んでいると考えられます。

死を恐れるがあまりに、「生きる権利」をなによりも優先させて、「活きる権利」がないがしろにされる。

ドーナツを食べて死ぬという自由が奪われた結果、胃ろうと酸素吸入器で延命するも身体硬直して更衣するたびにその苦痛を味わい、それで「殺してくれ」とかなる。

こういう例もあるし、苦痛から逃れる安楽死って悪業にされてるのって、またスピ系・宗教やらに関係してきて、更に複雑なのだと思われます。。


【普通に高齢者は亡くなるもの】

「活きる権利」の裏には死ぬリスクを当然背負っているけど、自分のやりたいようにやりたいという「死ぬ権利」も同時に存在しており、限られた命の中でいかに活きていくかということが非常に大切だと私は思っているし、それを奪われて死なない状態の人を見てきたりして、特に今回のコロナで88歳の方が亡くなりましたとか報道見てると、何やら違和感を感じるわけです。

別に暴漢に襲われたわけでもないし、治水事業をドケチでやらなくなって亡くなったのでなく、ブラック企業が強制する過労で自分の子供が殺されたわけでなく、ならそっちの方をもっと日本人に与えらえた課題として、とっとと取りかかれよとなります。(れいわ新選組はこれまた公約にしてますけど)


【人類が逃れらない恒等式と同じ】

.
そもそも高齢者は死ぬものというか人間はいつか死ぬものという、人類が逃れられない

一般政府 + 民間非金融法人 + 家計 + 海外 =0

という恒等式同様、この事実もまた否定できないのです。


【理想】

正直、こんな訴訟があったと私も知らず、これほど日本人って救いようのないくらいに、物事の分別とかつかなくなり、

潔さ
凛とした態度

とか、そんなのどうでもよくなって、弱気を助け強気を挫くとか、確かに「恐怖」に打ち勝つことなんて難しいわけですが、なかなかできないけどそれを理想として、子供の頃はヒーローものの影響をうけていたんじゃないかなと思っています。


【職質される理想像】

いつか、俺もああなりたい!

とか。

あの中二病どころか小二(小児)病って、ある程度免疫つくるために子供には必要なのだと思います。

快傑ズバット シーズン1 (83) 1977


医療過誤とかの引責問題をズバット快傑したい方は ↓のリンクをクリックお願いします。


政治ランキング;

↑クリック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA