危ぶむなかれ危ぶめば道はなしー迷わず行けよ行けば分かるさ・勝利を導く八咫烏(ヤタガラス)


【土砂災害と熊野】

先日、約9年ほど前に豪雨で土砂崩れに合って道が塞がれ、自衛隊が救援物資をヘリで送っていた十津川村をR168で経由して、熊野本宮大社を折り返し地点にしてバイクを走らせました。

ー平成23年台風12号豪雨 土砂災害からの復旧・復興 更谷慈禧(Yoshiki Saratani,奈良県吉野郡十津川村長)「砂防と治水212号」(2013年4月発行)より


【道の駅としての神社】

スピ系は

” ついで感覚でお参りするな!不謹慎な! ”

とよく言いますが、私は道の駅感覚でパワースポットとして有名な、三島由紀夫が登山した三輪山のある大神神社や、鶏を野放しにしてる石上神社とか参拝(休憩をかねて)しています。

トイレあるし。


【ジョジョと熊野本宮大社】

ということで、熊野本宮大社で『ジョジョの奇妙な冒険』で有名な荒木飛呂彦先生デザインの、「和の守」を購入しました。


【道に迷った時に勇気が出るようにとのこと】

荒木飛呂彦先生は3回も熊野本宮大社に訪れ、何やら、熊野古道とスペインのセンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道は、他に類を見ない「道」の世界遺産であり、世界中から巡礼・参拝されているらしく、そこでこの二つの道の繋がりにより、日本とスペインのみならず世界の人々が「和合」するようにという願いをお守りにしたいということで神社側の依頼をうけ、そのデザインを手がけたらしいです。

お守りの表は熊野の象徴の八咫烏と石畳で、裏はサンティアゴの象徴の貝殻と巡礼道と癒しのラベンダーが描かれていますが

心を決めて何かに立ち向かう時、また志半ば道に迷った時、勇気が出るよう

にという荒木先生の願いがこもっているらしいです。


【三徳】

熊野本宮大社と石上神宮も素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀っていてるのですが、スサノオって

仁勇智

という三徳を掲げていて、なぜか使用していない私の手帳にも、

誇勇智

と書いており、何やら後藤洋央紀のごとく怪しいシンクロニシティを感じています。


【後進国政府のGO TO キャンペーンを揶揄】

EVILの裏切りで新日本プロレスが闇に堕ちたとかで、コロナに負けるなみたいにダークサイドに負けるなとか、これ買うと厄除けになりあなたも安心とか、ファンだけに不安を煽り、牛殺し・GTRとかプリントした壺とか霊感商法的なこと考えているかもしれません。殿は。

また

GO TO キャンペーン ⇒ GOTO(後藤) キャンペーン

って上手すぎるし。


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【個人としては重要なことでもマクロでは】

さて、この神武天皇の東伐の勝利を導いたと言われてる八咫烏が描かれているお守りをもったところで

心を決めて何かに立ち向かう時、また志半ば道に迷った時勇気が出るよう

と言われても、ミスチルの曲の『未完』の歌詞にあるように、人生って3歩進んで2歩さがる、何かをやって失敗して学んでまた何かをして失敗して、そのアップダウンの繰り返しで、もう生きているだけで疲れている人間がほとんどでしょう。

人間ってミクロな些末なことで悩んで、他人からは小さなことでも本人にとっては深刻であったりして、例えば自分の子供が死ぬとか当事者たちにとっては一大事なのですが、同時にその日に子供が誕生したりしてめでたい日でもあり、マクロな視点からすると国家規模ではどうでもいいことと捉えられます。

むしろ命の選別とかやりだしますし、むしろこの決断を誤り逆に多くの民が死ぬ場合もあります。


【価値観の違い】

「れいわ新選組」の大西つねきの命の選別発言で党を追放されたそうですが、これってまた

命の選別をすることが悪でそれでないのが善

という、表面的なことしか見ていないと、大西つねきは悪となってしまいます。

これまた貨幣観も同じなのですが死生観に関係してきて、人間がいつか死ぬことを否定する人はいないと思うのですが、

高齢者は早々死ぬものだ

という認識をもっているのかで異なってきて、大変難しいのですが「れいわ新選組」の2人の議員は重度の障害をもっていても活力をもっていて、施設に閉じ込めらえるのが嫌で社会に出て活動をしたいと思っているのでしょう。

ただ、高齢者となると別の話になり、施設に入居している人のほとんどが認知症になっており、自分の意志とは関係なく後継人の家族の要望・生きて欲しいという願いが最優先され、利用者のナマの声を聴いてない現場を知らない人や、延命治療を第一とする医療サイド(医者・看護師)からすると、その価値観の齟齬が大きいように思えます。


【国民全体で考えること】

利用者の血液中の酸素が足りなければ酸素発生器で鼻からチューブで酸素を吸入し、喉頭蓋の機能が低下して誤嚥(ごえん)するようなら水分にトロミをつけてゼリー状にし水分補給し、本人が食事をしなくなるようになると栄養剤を飲ませて、それでもダメなら胃ろうの手術をして直接胃にということで、この考えが医療のデフォだと思います。

これって本当に高齢者にとっての幸せなことなのかとなるのですが、例えば芸術家であるのなら延命処置をしてでも作品を仕上げたいという欲求があるのなら、そういう人には延命は正解であり、それは人それぞれで何とも言えないわけです。

ただ、個人的な価値観としては、死ぬ前日までまんじゅうを食べて散歩して翌日死ぬのを不幸ととらえるのか、チューブだからで何年も寝たきりになって身体硬直して、その状態でも生きているのが幸せなのか、一度国民全体で考えたほうがいいでしょう。

専門家の医者の価値観に丸投げするのでなく。

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【医者の道徳】

こういうのって「道徳」が関わってきて、「道徳」って道と徳とあるくらいで、この道って今まで歩んできた後ととらえれ、それが価値観として定着し徳となるのなら、それが医療であるのなら

延命行為=道徳

となります。

単に、延命 = 医者の高評価 という名誉とかそんなつまらんものであっても、これは緊縮・増税 = 財務官僚の高評価と同様で、それで消費税で苦しむ民のごとく高齢者もまたブロイラー状態となり、鳥かごの中の鳥状態になると思われます。

 

 

 

 

「医療の現場からみた新型コロナパニック」表現者クライテリオン 2020年7月号 (日本語) 雑誌 – 2020/6/16


【延命第一】

もし、延命行為を『約束のネバーランド』のブロイラーの食用児のプラントのごとく捉えるのなら、大西つねきの発言はあながち間違っていもいないし、延命することでその人が芸術家みたいな創作活動とかできるなら、「れいわ新選組」の高齢者だとか障がい者だとかで命の選別をしないという党の方針は間違っていないのだと思います。

ただ、医療の現場で延命処置をしている側でも、自分が当事者となるのなら延命処置はやめてくれという発言する人が多く、職務だからやっているのかどうかというところでしょう。


【石川、戻ってこい!!】

大体、私も何度も死にかけて三途の川を渡り切っておのれ神の嫌がらせで生還させられて、寿命って何ぞやと思うわけです。

せっかく死んだ人間に

” 石川!戻ってこい!! ”

みたいな、祈りや願いで生還されそうになる日には、あちら側に行った者としては”おい!おい!”と思うわけです。


【消滅するのはどうでもいい】

” いや、いや、そっち側(現生)地獄じゃん。意識もろとも消えてしまうのならそれはそれでよし。パスカルの賭け
消滅するのはどうでもいい。みんなそろって消えちまうのなら。それはそれでしょうがないだろ。じぁな。検討を祈る。

となります。


【神問答】
.
『とある魔術の禁書目録』でクソワロタのが、上条当麻ってドラゴンブレスで脳が損傷してしまうのですが、私もまた同じような事故で何度か死にかけました。(死んだのです)

頭蓋骨骨折して左脳損傷して、医者も助からないし助かっても元の生活ができないと言ったのに、時空を超えたような謎の現象でなぜか奇跡的に助かってしまい、右麻痺になりながらも短期間で退院していまい、すぐに大学に復帰しなぜか頭打ったショックで大学の全単位を修得していまうとか、そんなのありました。

おかげで卒業見込みなしとおもい就職活動してなくて大変でした。

こう苦情をいうと神からは

” 俺に言うな! ”

とか言われそうでまじムカつくし、ここで神は

” 俺は○○年だ。引退して(涅槃に到達して)。お前達の時代、お前達の飯のタネは自分たちでつくれよ!いいか!! ”

とか言われたら、まじぶっとばしたくなります。


【神との戦い】

しかも、神はポエムを語ったりして

この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ危ぶめば道はなし
踏み出せば その一歩が道となり その一歩が道となる
迷わず行けよ 行けば分かるさ

と押しつけがましくなり、挙句の果てに衆生を支配したその空気を使い、

1、2、3、ダァーッ!

とか、まじでやめていただきたい。暑苦しい。迷惑です。


【コペルニクス的転回】

さて、仏教思想では人生そのものが苦であり、そもそも人生なんて業(カルマ)をかかえた罪人の刑務所での服役みたいなものであり、その刑務所でまた新たに罪を重ねて懲役が延長され、その永遠の繰り返しであり、そこで「法華経」であるとその六道輪廻の無間地獄から逃れるべく、三つの乗り物(玩具)を用意したのです。

また一方で空海は

小欲にとどまらず大欲に至れ

となり、煩悩を滅するのでなくこれまでとは逆にその煩悩を最大限に拡大させ、自分だけよければいいというのでなく、皆が豊かになるというこれまでの

貧乏楽しめ

とは逆の発想になったのです。

いわば仏教のコペルニクス的転回で、六道からの解脱を短い期間でやれる秘密の教えがあり、それで「密教」と呼ばれているのです。

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【貧乏楽しめ(俺たちは別)との戦い】

とあるチャンネル桜でとある人がとある中央大学の名誉教授にブチ切れていた動画をたまたま見たのですが、ずっと人類って、マルサスの時代の学者連中を見てもわかるように、

貧乏楽しめ(ただし俺たちは別)

という連中と戦ってきた歴史があります。

①生贄を必要とする社会システム(主流派経済学)と、②生贄なしだが皆平たく貧乏(緊縮リベラル)と、③それ以外の第三の選択といった、この鼎立した関係をずっと続けてきたように思われます。


【勝利のカラス】

第三の選択肢ということで八咫烏の足もまた三本あり、日本のサッカーのシンボルで「勝利を導くシンボル」という意味があり、非常に縁起がいいのです。

内藤哲也のいう一歩踏み出す勇気、これが奇跡を及ぼすと思われます。とはいっても奇跡なんて手段でしかないのですけど。


P・S 上条当麻の説教録+小萌の補習授業

(上条)
>何かが手に入ると信じて ちょっとでも変えられるのが
前に進むってことだろ!
それこそが奇跡ってやつじゃないのかよ!
(1:25くらい)

(小萌)
>一緒にがんばりましょうね (^^)
(1:10くらい)


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