LADY GENERATIONの理由 -感覚は考えて身につくものでない


【男性白人から女性有色へと】

先日、映画『ターミネーター・ニュー・フェイト』を拝聴したのですが、『スターウォーズ』も同じなのですが、主役が男性から女性に分かり、しかも今までイギリス系の白人主体であったのが、スパニッシュなど有色人種が主役になりつつあることが重要なことだと思います。(ヒロインとなるであろう白人女性も、白人男性のシュワルツェネッガーも最後は死にます

ターミネーター:ニュー・フェイト (字幕版)


【集合意識をキャッチ】

こういう作品は意図的に制作される場合もあるでしょうけど、集合意識レベルの無意識下がそういう作品をつくらせる場合もあり、これこそがシュペングラーのいう「成ろうとするところ」の流れであり、野球の試合の流れと同じだと思います。

 


【女性のエマが主役】

女性が主役となる作品といえば漫画・アニメ『約束のネバーランド』も同様であり、これって偶然ではなく「必然の流れなのだといえます。


【保守を煽る】

そもそも前提となることが間違っていると、ボタンの食い違うがごとく永遠に間違いを繰り返すことになり、青年西部邁が安保闘争に参加したかと思えば、次は竹下登に接触し消費税導入を議会を通じず後押しし、21世紀には民主党を叩いて野党というバランサーを消滅させ、次に安倍晋三総理大臣様に近づいたと思えば、結局

” 二度と飯を一緒に食べたくない ”

と発言し、最後は皆さまのご存知の通りです。

西部邁自身のことなんて私にとってかかわりのないことで、それよりも消費税導入やらそういった失政で殺された知人・友人がいるわけで、実際同じ環境で苦楽を共にして時間を共有し、ようやく感覚として知ることができ、彼自身の人物像とかどうでもいいのですけど、ミルトン・フリードマンもそうですけど学者などの専門家が議会を通じず政治に直接関与することは、何千万人の人生や生命に影響を及ぼすわけで、バッシングを受けるのも当然ことだと思っています。


【思想の英雄は室内で】

私は西部邁の本を一冊だけ読んだことがあり、それが『思想の英雄』なのですけれども、その内容は一貫して大衆というものを批判しており、西部自身もその大衆となることもありえると述べていたのかもしれませんが、そこで保守の源流といわれるエドマンド・バークの「世襲の原理」を経由し、「変化の漸次性」とやらとなり、これに相反するのが急進であり、単純にいえば議会の右側と左側の対立軸だったのでしょう。しかし、

この二つとも幻想ですから。


【ポップカルチャー、庶民( ゚д゚)、ペッ】

しかし、ながら西部邁は大衆を嫌ってていたことよりもむしろ非エリートを嫌っており、エリートが博学で古典などにも精通しておることに対して非エリートつまりは庶民はそこから乖離しており、庶民が親しむものこそポップカルチャーであり、ショパンの『革命』は趣向するが、浜田省吾や尾崎豊の曲には庶民( ゚д゚)、ペッとなるのでしょう。

彼が俗物的な漫画・アニメやロックンロールとか、それらの作品を口にした光景を見たことが私は一度もありません。

そういった作品って庶民の感覚に触れることになり、庶民の感覚がないとエニウェア族となり、それで消費税導入とか傲慢になるのでしょう。

” 庶民め!甘ったれるな!気合入れろ!この左翼野郎め! ”

って感じで。

大衆への反逆 (文春学藝ライブラリー) (日本語) 文庫 – 2014/8/20 西部 邁 (著)


【保守と急進は互いに補完し合っている】

私が保守派を毛嫌いするのも保守と急進とは相補性の関係であり、『スターウォーズ』でマスターヨーダが善と悪とは表裏一体といったことも、ユングの相補性の関係も同様なのですが、善は一瞬で悪となりその逆もしかりであり、今の日本のブローバリズムの跳梁跋扈を何よりも一番後押ししたのが、保守思想であり、これは西部邁が竹下登に消費税導入を後押したことも、全て運が悪かったとかでなく、それはむしろ彼が選択した運命であり、つまりは偶然でなく必然だったということです。

人間万事塞翁が馬といいますが、そもそも運って「流れ」であり、川の流れのごとく必然性に他ならないのです。


【その神話】

例えば保守派で絶賛されている日本型経営なのですが、産業社会学の泰斗である84年に発売された尾高邦雄氏の書籍より、そのモデルとなっているのは一部の大企業であったり、日本が昔から共同体の延長として終身雇用となっていたこととかは神話化されていたことがほぼ立証されていますし、まず読んでいただきたいと思います。

日本的経営―その神話と現実 (中公新書 (724)) (日本語) 新書 – 1984/4 尾高 邦雄 (著)


【保守がグローバル化を招く相補性の関係】

ほんの一部大企業により採用され適用されていたに過ぎない日本型経営により、大企業勤めの社員が転職先でパージさせられるとか圧力かけられ転職を阻止されたり、中小零細企業内での不満が蓄積されて転職が激しく、女性の社会進出が因習により阻止されてたり、男女雇用機会均等法ができても30年かかっても一向に変化せず、これらの「不満」が蓄積されてそれを放置した結果「ルサンチマン」となり、当たり前のごとくこれらにつけこんで、急進的な思想であるグローバリズムが日本で支配を及ぼし、今も尚その方向性を変えられないでいます。むしろ、

急進を支えているのが保守である

という事実を踏まえていなければ、当たり前のごとくこれがグローバリズムの跋扈やら、フェミニストのような極端な思想家の出現とか、結果として表れてくるわけです。


【なぜ女性が主役なのか】

『スターウォーズ』『ターミネーター』『約束のネバーランド』と女性が主役となることも、シュペングラーのいう男性的な思考

「なったこと」のよる因果

から、「なったこと」の前提となる「なろうとすること」による運命を重要視するという感覚(heart)重視の傾向であり、そっちの流れに移行しつつあるということを暗示していると思われます。

ヒラリーが大統領になっていたも製薬会社からの献金等からオバマ政権と同じことになり、民に失望を与えることとなり、ならなくてよかったと個人的に思っています。女性でも同じじゃないか、誰がやっても同じじゃないかって感じになるのが、非常にまずいですから。


【政治とは男性原理と女性原理の組み合わせ】

そもそも政治って

政(まつり)=祭り・祀り

であり、卑弥呼が神事により啓示を受けたりする、「成ろうとする」する女性原理によるものと、

治(おさめる)=自分らの村の水害を防ぐ

ために、他の村の堤防を壊すことにより自分の村が救えたという「成ったこと」に対する力の行使による因果の男性原理の組み合わせであり、そもそも「成ったこと」というものの前提には、

成ろうとすること

があり、これこそスペンディングファーストであり、宇宙の誕生理論からダーウィンの『種の起源』からして前提自体全て間違っているのですから、ずっと人間はボタンの食い違い状態を続けて、貧困格差・犯罪・虐待・暴力・紛争・格差・グローバリズムの跳梁跋扈・戦争と、同じ過ちを歴史を意図的に繰り返してきただけなのでしょう。つまり、

歴史は繰りかえされるのでなく、退化猿が繰り返しているだけということなのです。


【考えるな感じろ】

まぁ、マスターヨーダのいう訓練って力(フォース)を行使することは並大抵のことでなく、一瞬で闇にとりこまれて正義を掲げた結果悪に加担することになるからなのです。

武道の達人(マスター)の境地というものは、DB超の悟空が身勝手の極意のごとく既に攻撃の状態がし終わった後になっていることであり、これって「成ろうとすこと」に完全にシンクロした状態であり、武道だけにアートというようよりはむしろ技巧に近く、音楽を演奏したり文学を味わうことと真逆の要素であり、子供頃からずっと室内に閉じこもっていた連中には難しく、だから昔からの言葉として残っている文武両道なのです。

そもそも、頭で考えることでないことを頭で考えてどうするのかw

こんなことしてても、ハイゼンベルク定理の堂々めぐりで、つまりは

考えるな感じろ

ということなのですが、これほどのシンプルなことをだからこそ秀才・エリートにはわかないままで、一生を終える人が多いことなのでしょう。

ドラゴン/~ブルース・リー物語~ (字幕版)


【修行論】

故にマスター(達人)はこれを武道において肉体を酷使したり瞑想などして、その修練の結果感覚として身についてきた場合がほとんどで、男は特に、文と武の二つは両輪として初めて前に進むわけで、どちらか一方の片輪だと激情猿のごとく、グルグル同じところを回り続けるだけになります。

修業論 (光文社新書) Kindle版 内田 樹 (著)


【LADY GENERATION】

男と女は体の構造からしてまったくことなり、そこまでする必要がありません。(男のウソを一瞬で見抜くあのうざい感覚は生まれながらのものです)

今後女性が政治なり社会の中枢に参加して、今後日本のみならず世界を男どもが無茶苦茶にした世界を新しく創り上げるのか、それとも男性と同じく破滅に導くかどうかは、生まれながら遺伝子から身体の構造からその感覚が植え付けられている優越性を活かし、社会がこれを受け入れるかどうかにかかっていることでしょう。

Lady Generation~淑女の世代~ CD 篠原涼子 形式: CD


【緊縮リベラル】

だから池戸先生の指摘していた緊縮リベラル女子を、機能的財政出動派にできるかどうかって、かなり重要なポイントなるわけです。

国債を抑える = 平和
少ないパイを分かち合い = 共助
もったいない = 経済音痴のポエマー

この歪んだ思考回路の配線をこっそり付け替える必要があるということです。


【レインメーカーでなくデェスティーノ】

映画『ターミネーター・ニュー・フェイト』の敵はもはやスカイ・ネットでなく、タイムトラベルを仕掛けてくる敵はリージョンであり、分かりやすく言えばα世界戦とβ世界戦と異なるような別の世界線の出来事となってしまっており、これまでは女性が英雄ジョン・コーナーの子宮となる聖母としてのサラ・コーナーの立ち位置から、女性自身が主役という世界線に完全に移行したといえます。

女兵士グレーシが以下のセリフを言います。

>あなたが教えてくれた。決まった運命なんてない。運命(デェスティーノ)は自分で作るもの。

あなたは未来を救う男の母親じゃない。あなたが未来。だからリージョンが狙う。

この諺もだいたい同じです。

Where there is a will , there is a way.


【退化猿はもはや猿(去る)こと】

これまでのフェミニストでもないグローバリストでもない、女性の特有の本能を借りればいいだけなのですけど、男性は外で女性は内という因習が保守的な考えがそれを阻止しており、結果カネカネカネのグローバリズムの跳梁跋扈となるわけです。

夫婦別姓は許せない。伝統への冒涜だ!ウッキキキー

とかなり、保守が急進を招き互いに補完しあいそれが強化されつづけてきた結果のグローバリゼーションなのです。


【シッダールタなら知ってます】

故に、力って行使するのが難しいのです。

肉体を酷使して失神したり気絶直前まで追い込まれてりして、それでもなかなか達人の境地には到達できず、一生この戦士としての菩薩行はつづくのです。

大体、彼岸達成して成仏しているのなら生まれてこないっつーに。釈迦如来?( ゚д゚)、ペッ。知らねーよ。シッダールタなら知ってるけど。

西田幾太郎やポラニーのごとく唯物論をとなえてもいいけど、彼らは間違いなく陰気な思想であり根底にあるのは虚無感であり出口などなく、それならパンセの賭けとなるわけです。


【激情保守猿諸君wトランキーロ、焦んなよw】

今回、述べたかったことはシュペングラーのいう運命というものについてであり、

カーっと頭に血が上る状態を情熱や活力と取違ってしまい激情猿が力を行使すると日本だけでなく世界を亡ぼすことになるということでした。(本当に人類が滅亡して人っこひとりいなくなれば、それはそれでいいのですが、恐らく中途で終わるでしょう。残った人間の生き地獄ってやつです)

つまりは、

” 王様!王様!

生活に根づいた主婦の感覚や、嫁姑問題に自宅介護、社会進出する女性を迫害したり、因習に拘束され悲鳴を上げている連中の声を無視し、男性特有のやたら国家とか伝統とかシステムばかりに目がむき、グローバリズムの釈迦様の手のひらの上をぐるぐる回り、いつも王様は結果グローバリズムを後押ししてばかりじゃん。

まったく日本の保守思想の連中ってエリート意識が高くて、愛子様を天皇にとか財政健全化を憲法明記容認とか本当にゴーマンで。LGBTは生産性がないと発言してるのと変わらないじゃん。

おっと、まぁムキになるなよw

全てが運命(デェスティーノ)

オカダカズチカのごとく王道のレインメーカー気取りで、いつも最後はグローバリズムの手のひらの上の保守猿さんw

トランキーロ、焦んなよ凸(-_-メ) 

ということなのです。


【俺の生き方全て運命(デェスティーノ)】

Mi vida no es una coincicencia
(これまでの人生偶然なかじゃない)

Todo es ” Destino(デェスティーノ)“.
(全てが『運命』)

Mi estilo de Vida  son el ” Destino(デェスティーノ)
(俺の生き方は全て『運命』)

米国で扱いされているスペイン語の内藤哲也のこの言葉も偶然でなく必然なのです。

なろうとするところによる運命の流れが、こちらがわの世界線が無意識・深層・集合意識がそう発言させるのです。たぶん。


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