雲のジュウザとは・前編ー拘束からの自由


【サブキャラ好き】

私は漫画・アニメで主役よりもサブキャラが好きであり、『ダイヤのA』では、データーの鬼の渡辺久志や、『キャプテン翼』では日向小次郎であったり、『北斗の拳』では五車星の一人の雲のジュウザです。


【雲のジュウザとは】

ジュウザはサブキャラでありながら、ケンシロウ・トキと並びラオウの足を地につけるほどの実力であり、原作では、ラオウの腕を折ろうとして首の後ろをつかれて、

” け・・拳王の・・ク・ソ・バ・カ・ヤ・ロ・ウ ”
” 俺は雲!俺は俺の意志で動く!ざまぁ見たかラオウ!!”

と言いはなち、そこで血を吹き出し笑いながら死ぬのですが、アニメ版ではそこで終わらず話が少し延ばされます。

 


【ジュウザの自由】

30年以上前の当時からジュウザというキャラは人気があったのですが、今でも恐らくおっさんどもに人気がありジュウザ外伝がでるほどであり、単純にカッコイイとか強いだけでなく、いつもニヤついてキャラが陽気でしかも

” 自由気ままに生きる ”

とよく口にしており、80年代に偏差値至上主義の教育で息がつまった子供にとっては、大人たちこの拘束から逃れたいという願望があったのではないかと思われます。

” あんな風に生きられたら ”

って感じで。

彷徨の雲 北斗の拳ジュウザ外伝 コミック 全2巻 コミック (紙)


【恐怖なぞ感じている暇はない】

ラオウって存在は主役のケンシロウの敵側としては最強設定で、いずれ倒されるのはいつものストーリー展開で予想ができ、最後は

” やっぱりそうなのか ”

となるのですが、ラオウって作品ではいわば絶対の強さをもつ逆らえない「恐怖」の象徴であり、風のヒューイ・炎ノシュレンと簡単に倒されていくのに対して、ジュウザはひょうきん者でありしかもラオウを恐れないのです。

アニメ92話のタイトルは

『よみがえった雲のジュウザ!俺はラオウを恐れない!!

であり、ジュウザはラオウと対等にやりあい、その策略(計画)によりラオウの足である国王号(馬)を奪い疾走するのでした。

ジュウザってトリッキーでかなりのウソつきです。


【風紀という秩序】

今、ジュウザみたいな漫画アニメのキャラが、尾崎豊や浜田省吾や吉川晃司のような80年代の日本のロックのごとく受けるかどうかわかりませんが、少なくとも逆らえない大人や教師という絶対的な存在に対して、ガキの怒りむき出しの行為で暴力振るったりガラス割ったり『スクールウォーズ』みたいなことをやる以外に、あんな風にできたのならという憧れがあったのでしょう。

最強の権力者である教師に対して手駒にとるみたいな。しかも男の余裕の態度で。


【校則で拘束】

80年代半ばは校内暴力を押さえつけるために80年代半ばから校則を厳しくして、それを抑止する方向に変わった来たと思います。

長髪禁止で耳が毛から出ないといけないとか、刈り上げにしないといけないとか、首の襟のホックを外してはいけないとか、カバンにステッカー貼るのを禁止するとか、それが割と効果があったのです。


【ゆとり教育の導入】

その後「ゆとり教育」と大きく教育の舵がうつり、それが本格的に実施されたのは橋本・小渕政権の頃であり、今度は教師から逆に権限がはく奪されて子供ってズルい生き物ですから今度は学級崩壊に、更にはデフレに突入して格差社会の影響により、イジメ問題が跋扈するようになってきたと思われます。


【子供は大人の鏡】

正直、ゆとり世代とか第二次氷河期の世代とか、あまりピーンとこないのですが、両方に共通していることはまず不況の影響を受けており、特にゆとり世代の週5日制は小渕政権からなので、デフレ不況に突入しただした時に青春期を過ごしていると言えます。

教師は体罰禁止となり権限がはく奪されてモンスターペアレントもいるし正直ナメられて、それで子供の世界が天国になるかと言えばそうでもなく、次は子供たちの間でレッセフェールの自由によりモヒカンヒャッハーが増え、イジメが深刻化して、TVのCMで

” イジメやめよう ”

ってとんでもない世の中になってきたわけです。


【子供は大人の鏡】

イジメなんて男として恥べき行為であり、子供の頃それをしたことを本来なら禍根として後悔するわけですが、大人になってもそれを是とするようになってきたわけです。

その結果、セクハラ、パワハラ、労働規制緩和、ブラック企業の跳梁跋扈、消費増税・社会保障削減に法人税減税と住民税のフラット税制と、大人が同じ大人をイジメているのですからこんなんもの負のスパイラルで終わるどころか、更にいっそう酷くなっているだけです。

「スクールカースト」猿のヒエラルキーとか、子供のイジメ問題なんて必然的に起こる現象であり、それもそのはず

子供は大人の鏡ですから。


【世襲格差社会】

今の学校内の子供の自由って前述したとおりに北斗の拳のモヒカンヒャッハー!のレッセフェールの自由であり、子供たちは子供たち同士で疑心暗鬼になり、ラインで仲間に入れてくれないとかそんなことばかり考えたりして余計なストレスもあるし、スクールカーストとかなんて今の日本の格差・階級社会そのものです。

金持ちの子供は金持ち。貧乏人の子供は貧乏。グレートキャッビーカーブが数字として表れてるし、政治家だけでなく芸能人もそうだし、医者の所得すら親が医者であるかどうかで受け継がれているのです。

世襲格差社会 – 機会は不平等なのか (中公新書) (日本語) 新書 – 2016/5/18 橘木 俊詔 (著), 参鍋 篤司 (著)


【人生喜劇さ その通りだろうよー尾崎豊】

保守思想の星のエドマンド・バークの「世襲の原理」って結局、安倍晋三・麻生太郎・小泉進次郎という『北斗の拳』の” もっと光を ”のジャコウみたいなヘンテコなキャラもじゃんじゃんが生まれて、彼らがトップリーダーとなって今の悲劇が繰り替えされているだけです。ジャコウって

天帝の代弁者

と自称しているわけですけど、これは総理大臣が天皇陛下の代わって、本来神事である祀りごと(政)を行うのとまったく同じで、結局ファルコンみたいな強い男がいても、ジャコウのあごで使われ続けるという、ジョーカーじゃないけどそれが悲劇となり結局喜劇となっているのです。

吉本新喜劇に登場したりして。


【80年代後半の男の美学】

私は雲のジュウザというキャラは、ラオウという絶対の権力がありそこからくる「恐怖や不安」というものを、眉毛が太くてゴルゴ13みたいな目つきの悪いケンシロウでなく、ニタニタしたジュウザがラオウを鼻で笑い手駒にするところが爽快であり、当時アニメが放映されてて結構受けてて高校1年3学期の時でも結構クラスで話題になっていました。(1年後の高校2年の3学期に『魁!!男塾』がTVで放映されます)

竹のムチでしばかれたり、正座を何時間もさせられたり、成績悪いだけで丸坊主にされてりとか、そういう大人たちの拘束からの解放・リベラルティの自由をガラス割ったりするのでなく、余裕の顔して獲得することを欲していたのです。単純にそっちのほうがカッコイイから。


【マスターヨーダの訓練の意味】

なんかやたら脊髄反応して怒りちらしている男ってヒステリーな女みたいでカッコ悪いし、逆に女子供はその余裕のない男の姿みて逆に不安になります。

例えば、東日本大震災で津波から子供を非難させて、大の男が余裕のない姿を見せるわけにはいかないでしょ?

子供が不安で泣き叫んでいる中、ヒステリックな余裕のない男の姿みて安心できわけないのです。

だから、『スターウォーズ』のマスターヨーダの言うごとく訓練が必要なので、そのために、瞑想・ヨガ・武道・スポーツ・書道とか形(行為から入り、平静を保てるようにして訓練するのです。難しいけど一生かけて毎日のようにするのです。片岡鶴太郎みたいに。

プロセスを逆転させて、感情・コマンドとなる信念を作り替えるわけですが、基本的に須藤元気のプロセスを逆転させるということは、こういうことなのです。

(次回へつづく)


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