映画『ジョーカー』ー日本でもジョーカー誕生の待望が・・


【映画『ジョーカー』】

一部で話題になっている映画『ジョーカー』を鑑賞したのですが、ジョーカーとなる前のアーサー・フレックって、私は共感する部分とそうでない部分があり、そういうのは自分の感情がナビゲートになると思います。

エリート3人が殺される瞬間に

” あぁ、やっちまったな ”

とか、それぞれ感じるところが違うと思います。

ジョーカー(字幕版)

監督 トッド・フィリップス 主演 ホアキン・フェニックス, ロバート・デ・ニーロ, ザジー・ビーツ


KILL THE  RICH

この映画は明らかにアメリカだけでなく日本は当然として旧西側諸国が抱える、ジョーカーとなるアーサー・フレックスを格差社会で虐げられる側の視点でとらえられており、

” KILL THE  RICH ”

という言葉なんてまさにそうであり、虐げられた民の不満敵意となり最後は暴動となり見事に噴出したといえます。


【池田小学校襲撃事件】

私がこの作品をみて思い出したのが、2001年6月8日の池田小学校の襲撃事件であり、宅間守死刑囚は

エリートの子供を大勢殺害したのなら死刑になれると思った

とか発言しており、当時は日本はデフレから脱却できず閉塞感が漂いだし、それで小泉政権が4月に誕生した頃でした。


【痛みに耐えてがんばれ】

国民はこの閉塞感打破のために冷えたピザでなく、強いリーダーシップを待望していたと思われます。

「欲しがりません勝つまでは」のごとく、「痛みに耐えてがんばれ」というスローガンのもとで、橋本政権に加えて更なる構造改革が進められたのでした。

痛みに耐えていない連中らは軟弱者扱いされ、土建屋は無駄な公共事業で日本の財政赤字を拡大させている

こんな感じで、大東亜戦争で本渡爆撃受けて、もうダメだろと口にすると、

” お前みたいな軟弱な者がいるから、戦争に負けるのだ! ”

と精神論かざす連中と同じだったと思います。もう少し我慢しろってことです。


【同じ殺意】

事件同時の世論はもちろん、あくまでも宅間の自己中心的な動機で、殺害される子供たちと何ら関係ないじゃないかと、怒りを露わにしていたと思います。宅間が連行される映像で、

” 馬鹿野郎! ”

か男性が罵声をとばしたシーンを覚えていますが、私はぞっとしました。なんか、宅間死刑囚と同じ殺意を感じたからです。

浜田省吾の『愛の世代の前に』の

>憎しみは憎しみで 怒りは怒りで
裁かれれるのに何故 気づかないのか
⇒歌詞

という箇所を思い出し、これが白虎隊で有名な会津藩やら東北を今も尚賊軍扱いして靖国には祀られていないし、戦前その流れで陸軍の東北のエリートが無意識に国家を破壊しにかかったような、負の連鎖を感じます。

 

 

 

 

Born in 1952 – 愛の世代の前に 浜田省吾 形式: CD


【獄中結婚した宅間】

しかしながら、第一次安倍政権誕生時ぐらいの2chのスレッドでは、

宅間は神

とか、一部では持ち上げられており、そのことを職場で話すと当然その発言に怒りをあらわにする人もいました。

不謹慎な!

って感じです。

人は物事を簡単に善悪でとらえがちですが、実際、wikiを読んでもらうと、宅間は死刑廃止運動家と文通を経て獄中結婚したり、他の女性と文通したりしていたようで、宅間に惹かれるたらその人も悪人かといえば絶対そんなわけないのです。


【国内で内と外の関係が生まれる】

映画『ジョーカー』でいいシーンがあって、ジョーカーとなったアーサー・フレックスが、自分を引き上げてTV出演してもらったマレーという司会者に、

外の世界を見たことあるか?スタジオの外に出たことは?
誰もが大声で罵り合っている。礼儀も何もない!
誰も他人のことを気にかけない。

と発言します。

芸能人とかは関わる人間が業界の連中やスポンサーばかりであり、芸能人が少しでも政治に興味をもつとそこに大臣や総理とかの政治家とかかわり、社会全体がブラック化して地獄のような状態になったとしても、外の世界、特にアウトローの世界なんてフィクションでしかなくなるのです。

認識共同体において同じ日本人の間にも壁ができていますが、こうして国民意識が分断されて、階級別に常識が形成されていくのです。

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【いろいろ共感もてない】

結局、ジョーカーとなったアーサー・フレックスは自分を持ち上げてくれた司会者のマレーを、TVの生番組中に殺害するわけですけど、そこらあたりが私が共感もてないところの一つです。

どんな意図があるにしても、一応自分を抜擢してくれたし、それでコメディアンとして生活を成り立たせることができていただろうし、あの時エリート3人を殺害していなければとなるのです。

そうなっていたら、成功したコメディアンとして、下層クラスを見下すかもしれませんけど。

” 俺はがんばったから成功した!お前たちもがんばれ! ”

って具合になり。


【不満を放置する危険性】

なんか小さい子供のいるシングルマザーに近づくとか、母親をしたいしかし最後は虐待の事実を知り母親も殺害するとか(実の父親も殺害します)、コメディアン・お笑い芸人になりといとか、私とアーサー・フレックスはまったく逆なタイプなのですけど、映画にも出てくるキーワードの

不満(stress)

をアーサーは抱えたままになり、それを処理せずいい子でいようとすると、誰もがジョーカーになる可能性があるのかなと思うわけです。


【無意識にジョーカー待望している日本人】

もし、池田小学校の襲撃事件が被害者がエリートの子供でなく、エリートの大人であるのなら小泉・竹中の構造改革であるのなら、安倍政権でメタボロにされた現在ならば、あと5年後、10年後であるのなら、宅間死刑囚はジョーカーとして祀り上げられていたかもしれません。

彼に対する死刑がキリストが十字架はりつけされたみたいに、支持を受けることになったのかもしれません。

最後の最後に追い詰められて一人になり、世界を相手に闘うことになった悲劇と私はとらえています。(私は「戦う」という言葉は好きでも、「闘う」って言葉はあまり好きじゃないのです。ラーメンマンみたいでw)


【一人になってジョーカーが誕生し、一人でなくなる】

この映画の最後のほうは

” ジョーカーよくやってくれた! ”

みたいに、ピエロのメイクや面をつけて黄色いベスト運動のごとくデモに参加する連中が増えてきて、暴動が起きるた死者も出てくるわけです。

全てを失い一人になったジョーカーが

” ジョーカー、立て! ”

と支持する連中が増え、負の感情の連帯感が生まれ一人でなくなる、というオチがあったように感じるところもありました。(これは元気玉ではないですね)


[ 人生は喜劇】

あと、印象に残ったのが

>笑えるのは人生は悲劇だと思ってた
だが今 分かった 僕の人生は喜劇

と、慕っていた母親をかつて自分を虐待したことを知り殺害するシーンでのセリフです。


【『街の風景』の消された歌詞】

尾崎豊の『街の風景』でもアルバムでは割愛されているけど、

人生喜劇さ その通りだろうよ
だけど何がこうさせるのか わからないよう
愛情の渦だよ 窮屈になるだけ
だけど誰が止めるというの 祈るしかない生き物よ

という箇所があり、代々木のコンサートで85年に歌っています。

LAST TEENAGE APPEARANCE 尾崎豊 形式: CD


【昭和末期の喜劇】

私の高校でも今は進学校らしいのですが当時は新設で、教師の体罰が横行し、授業中に質問に答えられないと即正座、テスト80点未満1点につき竹のムチの1発の刑、成績悪いと丸坊主。

そもそもなぜ私がそんなスパルタ高校に入学するはめになったかといえば、元々その高校の本校を併願で受けて、分校であるその高校は先願枠にして、その先願枠がダメでも併願枠はそれまで通りで、そういう流れがあったのです。

ダメもとで、受けて受かればラッキーみたいな感じで、しかしながら私の担任の教師はこの高校がヤバイことを知っており、私の家まで来て

” 本当にこの高校を受験していいのか?相当、厳しい高校ですよ。”

と助言したらしいのです。

らしいというのも、私が風呂に入ってる間に、勝手に母親が決めてしまったことであり、ジョーカーと異なり私は母親を全面的に憎んでいる節があり、今もその確執があります。

で、受験するはめになり、運悪く先願で合格してしまったわけです。


【適当な校長】

入学しても私はなぜか一番上位のクラスに入ったわけですけどその理由も、

” 中学の成績見て、急に成績が上がったものとか、化けるかもしれないので入れました。”

という、当時教頭でのちに校長、会長となる先生の適当な裁量で、上位のクラスに入れられるのですが、当然授業についていくのに大変。

こんな出来事でも今では喜劇となるわけで、これも最大懲役3年の期間限定であり、その後は自由にどうぞって約束されていたし、80年代の日本のロックってそこらの不満が投影されて、そこに怒りとかをぶつけるとかできたのだと思います。

サラリーマンにはなりたかねぇ。ましてや安定求める公務員なんかダセェの時代だったのです。


【HOUND DOGを否定する小さい教師】

当時の国語の教師はHOUND DOGを

” サラリーマンの悲哀を知らないバンドだ! ”

みたいなこと言って批判していました。こいつが東京出身で女の腐ったやつみたいにネチネチしてて、高2の頃小テストカンニング事件(87年の円高不況・ブラックマンデーの年)があってそれで、むちゃ面白いエピソードなのですが長くなるので・・・etc


【汚職したら政権崩壊する時代】

で当時、私たちの高校では

” お前、汚職しただろ! ”

という会話がよく耳入ってきて、

カンニング = 汚職

という暗号がつくられており、政治家の汚職なんて当たり前で、それでも投票率は7割近くあり高かったと思います。中間層が厚かったからです。


【人を蹴落とす事ばかり教えられた】

HOUND DOG 『Blackboard Jungle』なんてまさに80年代の日本のロックを象徴するそのものです。⇒歌詞

>まるで刑務所さ 校舎の壁の色
学校だけじゃねぇ この世はBlackboard Jungle
人を蹴落とす事ばかり教えられた

まぁ、当時は自分らが競争を強要されておりその競争を否定して、あんな大人になりたくないと思っていたのが、いつの日かミイラとりがミイラとなるパターンがほとんどで、これが大人になることだみたいになっていたのです。


【掲げてた理想も今は遠く】

これが浜田省吾の『J・BOY』の歌詞に

>俺はネクタイほどき 時にわけもなく 叫びたくなる怒り
J・BOY 掲げてた理想も今は遠く
J・BOY守るべき誇りも見失い

とあるように、かつて世界を相手に戦うような中二病的な戦士(ファイター)の活力が、組織に順応な兵士(ソルジャー)になっていく社畜になっていく、このなんとも矛盾した自分への憤りとなり、90年代社会に出た団塊jr世代って大体こんな感じだったと思います。

まぁ、当時はグローバリズムとかそんな言葉がメジャーでなく、皆がフリードマン主義者でグローバリスト。そうでないのは人権派のリベラルとかフェミニストとか左の連中で頭の中がお花畑。

私たちの年代は皆大体こう思っていたのです。


【無意識で日本人はジョーカー誕生を願っている】

今考えれば80年代も90年代も、生活保護受給者叩きなんてなかったし、金持ちに対して軽蔑してなんとも思っていなかったし、芸能人でも億単位をため込むとかあまり耳にしたことはありませんでした。

同胞に対する単なる嫉妬や羨望止まりで、しかし今はジョーカーのセリフじゃないけど、

>誰もが大声で罵り合っている。礼儀も何もない!

状態であり、煽り運転とか自転車の暴走とか、職場や教師同士のイジメ問題、パワハラ、働き方壊されたりとか、もう日本はジョーカーの誕生を願う人々で溢れかえっているのではないかと思っています

建前では皆は「そういうのよくないね」と口にしているけど、もう実際に不満・緊張(stress)が溜まりイライラして行動が逆のことしてるし

無意識では日本の社会、国家に対するルサンチマンが溢れており、サッチャーや東北出身の陸軍のエリートみたいに、国家破壊衝動をもっているとわたしはほぼ確信的に思っています。


【グローバリストから人間に】

故に、国民意識強くするために、都市と地方の格差を是正するとか、消費税元の状態つまりは廃止して法人税戻すとか、団塊jr世代が現役でいる間にいろいろやることはあるのです。

80年代の日本のロックという・exeファイルを山ほど抱えて容量無限のハードディスクに無意識レベルで詰まっており、世代別に適した役割があるのです。


P.S

私は

” アーサー(ジョーカー)、休め ”

と思いました。

だけど貧乏暇なしなんですよね。

もう少し、社会(国家)が彼らに経済的な安定と将来への安心と余暇を提供できたのなら、こうはならなかったでしょう。


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