エジソンに物申したいー99%のどうでもいいことと1%のピコーンです


【トンデモ論を唱える】

昔、ある友人Nと未来の行きつく先は過去という、いわばトンデモ論を話していたことがあるのですが、これについていけない真面目な友人Uはまったく理解を示していまでんでした。

アインシュタインは時間の経過が一定ではない絶対時間を否定したわけですけど、さすがにここまでのトンデモ論は唱えておらず、しかし友人Nもっと進化?しており地球を光の速さ以上で逆回転させたら過去の戻るとか持論を唱えていました。(なわけないだろw)


【時間という概念】

私も友人Nも当時は時間のループ論を考えており、しかしながら過去ログで訂正したように、時間というものはサークルを描いておらず、むしろ螺旋(スパイラル・スピン)を描くイメージのほうが近いと最近思うようになった次第です。(今でもこんなことばかり考えています)

 


【時間という概念】

通常時間というものは渡辺真知子の『迷い道』の歌詞にあるように、

現在・過去・未来

と一直線状に経過するイメージがされているのですが、そもそもこの直線とういものは目に見える形では存在せずあくまでも形而上のものでしかなく、黒板の上にチョークで線を引いてもそれは線でなく、線というものは幅がなく距離を表すからです。

しかも時間というものは距離そのものでなく、変化の具合を表すわけでそれは記憶喪失でない限り個人や集団の記憶・メモリーの序列に過ぎず、時間という概念を人間がつくりだしただけだけだと言えます。

責任という概念と同じです。そんなもの人間が作り出した形而上の概念でしかなく、存在しません。


【ファウスト的】

シュペングラーは西洋文明をファウスト的と言いましたが、ローマ文明ではピタゴラスの定理とか実数による目に見える数学的要素であるのに対して、西洋文明では2乗してマイナスといった虚数の概念が生まれ、直線とうものの概念すら知らない人がほとんどだと思います。


【予言とは】

時間をシュタゲのごとく直線でなく、スパイラルを描くように捉えると、予言とうものが実は未来であるけど過去のことでもあるようなことであり、ある種これが運命なのではないかと思うわけです。

しかしながら、このスパイラルを描く時間にしても、例えば1巡と2巡とでは酷似しているがまったく同じでなく、これが7巡目にあると多少の変化が見られ100万巡目になると1巡目とはまったく異なるサークル・スパイラルであり、ひょっとしたら予言というものはデジャヴのごとく、過去の周期が重なった状態を思考でなく感覚が感知したのであり、しかしながら必ずしもその過去の周期と同じスパイラルを描くこととは限らないのではないかと思われます。


【西洋の没落・日本は東洋です】

そもそも時間というものを線で示すこと自体が錯認であり、しかも線そのものも虚数と同じく描いて表すことのできないわけであり、そうなるとシュペングラーのいう運命というものは単なる傾向で、回避することは十分可能だと思われます。

一本の黒板に書かれた線ととらえるから、もうダメだとか、回避できないとかなるのだと思います。


【日本の没落】

もし、日本がこのままグローバル化によりボロボロになるのなら、それはシュペングラーの運命のごとく、日経平均株価が上がったとか歓喜してる金融市場とかカネの支配するシステムから、それを破壊して解放する強いリーダーが出現し、改革を叫び日本を更にボロボロにして、東京のみならずニューヨークなどの世界都市は芥川龍之介の『羅生門』のごとく廃墟となり、そこから逃れる人間は田舎で農業を営み、しかし活気のない陰鬱な時間のない村となり、ひたすら原始的に子づくりと低次の要求を満たすだけの、土地に根付いた素朴な生活が永遠とつづくことになることでしょう。

その時、緊縮保守派のネトウヨや反緊縮保守派は互いに言い分をぶつけ合い、緊縮・反緊縮両リベラルは貧乏だからこそ人種の壁を超えて協力してとか、そんなことを言ってることでしょう。

今の統合政府の貨幣システムを破壊する皇帝が、維新か中国共産党なのかどうかはわかりませんが、今の日本の動向を見ればシュペングラーの予言どおりを歩んでおり、100年前の以下の本を読むとぞっとする人もいることでしょう。

西洋の没落―世界史の形態学の素描〈第1巻〉形態と現実と (日本語) 単行本 – 2007/2 オスヴァルト シュペングラー (著), Oswald Spengler (原著), 村松 正俊 (翻訳)


【未来は選べることができる】

まぁ、そんな悲観的になっても仕方なく、シュペングラーやマルクスの世界線は一本だけしかなく他にもいろんな社会の変動モデルがあり、スメルサーの変動モデルもあり、未来は通常選択できるものです。

社会が変動するターニングポイントがいくつかあり、日本であると山本太郎がいうように、中曽根政権が今の日本の凋落の禍機であり、私もそうだと思います。


【J・オッサン♪ 情けなく貧しいこの国に ♪】

企業も個人そうですけど浮かれている時に一番危険な種が植え付けられており、80年代なんてお笑いのセンスが下品極まりなくなりまさにそうで、心理学者ユングのいうように「最善の中に悪の萌芽」があるといえます。

86年の浜田省吾の歌『J.BOY』の歌詞の

” J・BOY 頼りなく豊かなこの国に ”

って30年以上前のことであり、今は2世帯に1世帯が貯蓄ゼロで、子供の7人に1人が貧困。当時からすると信じられませんね。

安倍総理は” もはやデフレでない ”とたわけたことを抜かしましたが、” もはや先進国ではない。ギリシャや途上国みたいにインバウンド頼みの情けない国になった。 ”と現実を直視するべきです。


【『STEINS;GATE』(シュタインズ・ゲート)を見ましょう】

さて、いくら暗闇の中で希望がもてないようでも、万物には反証可能性があり必ずダイバージェンス1.048596%の可能性が残されているのです。

そうです。

緊縮グローバル安倍晋三の世界線でも、緊縮リベラル枝野幸男でもない、反緊縮の政治家の世界線があるのです。(別に山本太郎に限定しません)


【考えることをやめた日本人】

私は昔はピタゴラスの定理でパラレルワールドの存在を証明するとか、そんなバカなことやってたわけですけど、問題はこのどうでもいいことを一見くだらないことを考える余力だと思います。

日本人が消費税を5%から10%に上げられて反対しないのも、子供の7人に1人が貧困で、貯蓄ゼロ世帯が半分になってこれでも憤怒しないのは、考える力がないし考えることすらやめた養豚場の家畜と同じようになっているからだと思います。


【もはやグローバリズムから逃れなれないという自覚】

そもそも考えない人に考えろと言ってもそれは難しく、ならその考えない人に対してどうすればいいとなるわけですが、そういう層に対しては今は「方便」しかないし、

もはやグローバリズムからはどんなことをしても逃げ切れない

と多くの日本人が自覚したのなら、移民で手遅れになっている西ヨーロッパのごとく、ようやく方便でなくまともに貨幣のシステムなり古典を読むようになり、まともに議論できるようになると思います。(その時は手遅れなんですけどね)


【アニメという方便】

まぁ、家畜でなく人間として生きて行くという意識を植え付けたいのなら、漫画・アニメの『約束のネバーランド』がいいと思います。

医師会を悪にみたてたり、国家戦略特区の規制緩和で子供の命が救われたとか、製薬会社や民間の保険会社がスポンサーの、バカな大人が見る医療ドラマとかボツです。


【自分を捨てない】

要するに、ノーベル経済学賞とか物理学賞とか、東大名誉教授とか、エジソンとかアインシュタインとか、特に中高年なんて権威に弱く、『食戟のソーマ』の創真じゃないけど本来なら若者よりも多くの重ねてきた時間があり、その中のエピソード記憶により個人としてのアイデンティティが強固に形成されているはずです。だから、自分を捻じ曲げてクソみたいな権威に媚びへつらうなと言いたいのです。

本当にその権威が皆を豊かに幸せにするのならいいのですが、まったくの逆でしょってこと。


【白い服着るな』

これからドンドン国民は貧乏になり、社会の緊張(ストレス)が膨張して志気(モラル)が崩壊していき、イジメ・虐待・パワハラ・モラハラ・掛け持ちのバイト・犯罪・貧困からくる売春・貧困格差・煽り運転と、社会全体がもっと陰鬱でイライラして敵意に満ちた状況になってくることでしょう。

それでも規範となるのは中間団体のものもありますが個人的なものも大切で、一見この個人というものは原子化してバラバラであっても、『食戟のソーマ』の従者ヒサコの台詞にあるように、何の羅針盤もなく荒野の中を進んでいるようの思えるけど、自分以外にも大乗の精神にのっとり同じ目的地に進んでいるというのも現実だし、その羅針盤となるのは特定の認識共同体の規範でもなく、あくまでも各自が積み重ねた時間によるものであり、安易に信者になるということです。

白い服着るなということです。紫の人のCR超越世界にダイブするなということです。特定のサティアンに引きこもるならということです。しかしTOUGH BOYなのです。

We still fight ,  fighting in the eighties .

ということです。


【なかったことにした代償】

そうすれば自然と考えるようになり?別に中卒であろうが学がなかろうが、東日本大震災の直後のTPP参加交渉に賛成とか、人間である限り鬼畜でない限りそういうことにならないし、小泉・竹中の時代の失敗とか普通に考えればわかるはずなのです。

別にどんなことでもいいけど、皆がこんなこと言ったら笑われるとか、それで空気読んでその奴隷となり、それで経済ジェノサイドに加担してきたわけです。

経済ジェノサイド: フリードマンと世界経済の半世紀 (平凡社新書) (日本語) 新書 – 2013/1/15 中山 智香子 (著)


【凡庸な悪魔たち】

私のトンデモアイデアの中でも、1兆円コインを自治体に配れば日銀が独立して緊縮しても対応できるとかそんな話を職場でしていて、それで事務員に ” お釣りどうするのよ? ”というアホトークをしていたのですが、これはあながちトンデモでなく、ランダム・レイのプレミアコインの発想と同じでありなのです。

30、40、50になったら時間の積み重ねがあるのだから、とにかく思考停止になるのでなく考えろということです。

それをやめたことにより、アドルフ・アイヒマンのごとく

” 上に言われたからやった ” 
” 東大名誉教授が言ってたから ”

権力と権威に隷従して思考停止になり、今の凋落した日本があるわけです。

思考停止した凡庸な悪魔がほとんどの日本人なのです。


P・S

しかしながらブルース・リーはこう名言を残しました。

” 考えるな! 感じろ! ”

別にこれは相補性の関係によるもので矛盾してるけど矛盾していないのです。

右スピンと左スピンの対の関係と同じです。0であり1であるという考えと同じです。


とにかく思考停止になるのでなく、考えろ!しかし感じろ!と思われる方は ↓のリンクをクリックお願いします。


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