政治家と政治屋の違いー民間議員という名の越後屋


【家と屋】

よく政治家政治屋という言葉を耳にしますが、最後につく「家」「屋」という漢字一つでまったく印象が変わってきます。

政治家だと国民や市民の代表が議会を通じて法律を通すイメージがありますが、政治屋だと金儲けのために自分らの利益のためだけというイメージを抱きます。

前者 ⇒ 地元愛や愛国心、広く公の精神における民のための政治
後者 ⇒ 自分や国内外を無視した特定の連中だけの私の利益のための政治

大体、こんなところでしょう。


【時間の共有という家の概念】

家と屋の漢字の形成を調べて見ても、それほど特徴的なものは見られず、言ってみれば家はhouseで屋はbed roomというようなものです。

ここで過去ログでも述べたことなのですが、「家」って国家にしても家族にしても、前者であると歴史・神話なりであり、後者であると旅行やら子供が怪我したとか父親が失業したとかのエピソードなり、国民なり家族なり「時間の共有」を前提としており、そこから独自の文化なり慣習なりできあがり、それが外国や他の家族なり内と外の壁が形成されることになると思われます。

彼らと私たちの関係になるのです。


【中庸の精神が培われる中間団体】

しかしながら家ってジンメルのいうように、

人は国家や家族のためなら命を捨てる

と過激になりやすく、そのために中間団体・コミュニティがその緩衝の役目を果たし、実は仏教でいうところの「中庸」の精神って、一見どうでもいいフォーマルであれインフォーマルであれ組織なり団体の存在により、その所属している集まりでのどうでもいい集団内の役割というペルソナ(仮面)があるからなのです。


【遊びのないセクシーな連中たち】

話が逸れるからかなりショートカットした内容で説明しますけど、一見無駄と思えるものことは非常に大切であり、ブレーキとアクセルにも「遊び」があるように、錬金術やら大学の文学などの研究やら、もんじゅやらILCやらの研究って短期に成果が出ようが出まいが関係なく、この無駄こそが中庸の精神の真髄でもあり非常に大切なのだと思います。

文楽とかの文化なり一見無駄と思えるようなことって、余裕ある潤沢な精神から技術革新につながったりして、国家が発展することにおいても非常に大切で、むしろ英語の早期教育とかで出世して金儲けできそうな役に立つことって、日本語も英語も中途半端なセクシーバカを大量生産するだけで、国家にとって有害となりえるわけです。

英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書) (日本語) 新書 – 2015/7/17
施 光恒 (著)


【屋は寝室(bed room)という意味】

さて、家の概念についてはある程度定義できたのですが、「屋」においての定義はどうなるかとなりますが、「家屋」という漢字では一体化されておりますが、屋という漢字は尸(かばね・しかばね)と人が寝た形に、家の省略体の至るを加えて、寝室(bed room)の意を示すようです。


【寝室や子供部屋での自分】

解釈できるとすれば、家がありその中にまた寝室があり、家ってどうしても公のペルソナ(仮面)が強いのに対して、寝室ってかなり私の部分が強いように思えます。

父親としては威厳があるが寝室に戻るとダメな旦那だとか、食卓では子供が両親に対してよくできた子供として猫かぶっているが、子供部屋にもどるとスマホでSNSで大人と連絡とってデートしてお小遣いもらうとしてやりとりをしているとか、だいたいそんなところでしょう。


【他者との時間の共有】

なら、経済評論家、作家、思想家、芸術家、画家、漫画家、演奏家、愛妻家、努力家、憲政史家など、語尾に家がつくわけですが、時間の共有から内と外の壁ができるわけで、内と外の壁はその専門分野別で理解できるのですが、時間の共有って何でしょうかね。

経済評論家でいえば、例えばアダム・スミスを起点とするなら、そこからマルサス・リカード・メンガー、ケインズなどを通じたそれぞれの思想の時間の共有であるとえい、経済評論家でありながらアダム・スミスを知らないとか、ケインズを知らないとかありえないわけで、そういう時間という縦軸のことをいうのでしょう。

とはいえ、画家とかなんて印象派とか勉強していない場合もあり、それでもその人の描く絵はかつての画家なりの影響を受けていたりするわけで、そういう意味では影響を受けた時間と切り離すことはできないと思われます。

努力家も愛妻家もかつてそうしたという、他者を通じての時間の共有があるからなのでしょう。

自分で努力家とかいう人ってあまりいないし。


【屋は三だけ人間となりやすくなる】

ここで、「屋」というものですがそこには時間の共有がなく、嫁であってもSNSで小遣い稼ぎしている子供にしても、家族というペルソナ(仮面)はなく、より私的な欲望とか利益に関しての側面が非常に強いと思えるわけです。

簡単に言えば、

そこには家という時間の共有がないから「今だけ」となり、私的な欲望とか利益だけなので「カネだけ」「自分だけ」

となっていると思われます。


いつもの越後屋に甘い政治屋】

安倍総理のモリカケ問題やら、伊藤詩織さんのことやら、最近いわれている「桜の会」のことでもそうですけど、政治家としての公の精神に欠けて、政治屋としての私の精神を拡大させた結果そうなったと言えます。

近くの人にたいしての利益誘導だけで行動をとったから、今の政権はぐちゃぐちゃになっており、適当に韓国中国北朝鮮の悪口言って、靖国と憲法改正をちらつかせれば、愛国者に思われるのでしょう。

政治家と名乗りたいのなら、まず国民との時間の共有をもつべきであり、これに加えて政治屋から脱却したいのなら、空海でないけど、

小欲のとどまらず大欲に至れ

の精神が必要となります。

なんとか会議とか通じて民間議員という名の越後屋とか特定の連中の利益ばかり考えるのではなく、国民が豊かになる政策を実行しないといけないということです。

” 守りたい。君(越後屋)の笑顔 ”

って、今なっているのです。


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