まじめな人ほど緊縮派となる理由・後編ー緊縮リベラルの抑圧された残虐な負の部分


(前回からつづく)

【緊縮リベレル派の貧困トレードオフ】

結局のところ緊縮リベラル派って全ての人(世界中の人)を不幸・貧困から解放することを考えてしまい、アフリカの圧制国家に苦しんでいる人や東南アジアのような開発途上国の人を援助するために、移民・難民・受け入れという選択をしてしまい、共生多文化という美辞麗句に酔いしれてしまう傾向にあるのです。

圧制国家の人は命の危険にさらされている。日常生活もままならない。
途上国の人は貧しい。

こうして、下層化していく同じ国民に対して、

まだ我々は生命の危険にされされていないし、スマホもあるし屋根のある文化的な生活できているし風呂にも毎日でなくとも週2回ぐらいは入れている。まず!世界中で困っている彼らを助けることが喫緊の課題だ!

貧困トレードオフをしてしまうように思われます。

主流派経済学の考え方と同じ考え、つまりは

同胞・同じ日本人を虐待したい。そいつらと自分に差異をつけて自分に優越性を与えたい。

そういう人間の残虐な負の部分を抑圧し、知らず知らず無意識レベルで政策として実効し、日本と途上国の貧困層の生活レベルを同じにしてしまうのです。ユングの言葉の

” 最善のものの中にこそ悪の萌芽がある。善が一つも生じえないほど悪いというものは決してない。 ”

の悪の萌芽を否定してしまったことによる結果なのです。


【グローバリストにとっての緊縮リベラルほどの支持者がいない現実】

これが、人権派のリベラル派が同胞・日本人の人権を侵害してしまうパラドックスの構図で、はいこれまた、これでエニウェア族のグローバリストの思惑通りで笑いが止まりません。


【ピンポイントで正解・全体で見ると不正解】

圧制国家に苦しんでいる人のことや、途上国の貧困層のことだけを考えれば、それだけをピンポイントで考えると正解かもしれませんが、全体を包括的に構造としてとらえて考えるとそれはまさに「合成の簿謬」の現象のごとく、間違いとなるわけです。


【大東亜戦争の功績と功罪】

そもそも開発途上国というものは、帝国主義的な欧米の支配体系の中で強制的に、西洋文明を暴力により押し付けられ、しばらくはバックス・ブリタニカがいい例でインドを支配していた英国の統治により、なんとか無理から西洋文明を注入されて拒絶反応を示すものの強引に植民地を牽引していたわけですが、これが運よくか悪くか崩壊してしまったのです。

小林よしのりは大東亜戦争前と戦争後とでは、世界中のあちこちで独立運動が高まり、世界地図が変わったととらえているようですが、私からすると別の局面では独立した国家のほとんどが最悪の結果をもたらしたと思います。


【モラルなき支配者の悲劇】

これまで植民地を支配していたのは近代思想をもった西洋人であったのですが、この西洋人が消えて無くなると支配者とし君臨するのは当然、かつて西洋人のマリオネットの現地人であり、しかし彼らはキリスト教の精神とかモラルとかルネッサンスとか、そういったものまで受け継いでいないのです。

近代国家となった国民共有の歴史や価値感を、植民地から解放された途上国は保持していないわけで、そうなると厄介で結局、北朝鮮のような圧制国家となったり、いつまでも人権がはぐくまれることなくなるのです。

国民意識を歴史を通じて形成されることないまま近代化をとげ、こうなるといつまでたっても国民国家が形成されないままになります。

我々、○○人のアイデンティティって何なんだ?

アイデンティティなき国民は、国民としての共通認識をもてずこうなると、為政者は「今だけカネだけ自分だけ」という民を苦しめる連中となり、それで民は母国より稼げる日米欧と移民・難民となり押し寄せて、その土地で自分らのコミュニティつまりは小国家をつくろうとするわけです。

 


【まじめの罠の理由】

さて、まじめな緊縮リベラル派が日本の破壊工作に加担するのは、まじめなだけにいろんな役割を強いられる現代社会において、その役割という名のペルソナ(仮面)と自己とを同一化することにより、いっちゃえばだらしない側面が抑圧されてしまい逆にそれがマクロな部分に反映され非理知的・非理性的なグローバル緊縮政策を支持してしまうと思われます。

これはユングが指摘していることであり、ユングは

優れた仮面(ペルソナ)は「私生活」において保障されている

と述べており、簡単にいえば、

しっかりした政策・仕事をするめには、しっかりしていない多少だらしない「私生活」・プライベートによりバランスをとっているとうことです。たぶん。


【二極性という物事の本質】

陰陽の太極図にあるように、こららの極は相補関係にありこれを否定して抑圧すると必ず、外なり内なり悪い影響を及ぼすようになります。

内部から反対のものが沸きあがってくるわけで、老子の言葉の

” 高は低の上にあり ”

とはまさに、貨幣のオペレーションシステムの事実と同じく、現象としては当たり前のことなのです。

光と影の関係は引き離されないのと同じく単なる事実に過ぎないのです。たぶん。


【プライベートだらしないほうが成果をだす】

田中角栄にしてもクリントン夫妻にしても、愛人がいたりしてダブル不倫したりとか、多少プライベートがぐちゃぐちゃなほうが、マクロな政策とかはまともになりやすいのは、こういう抑圧された片方の局面を自覚し、それでいて程よく解放しているからだといえるわけです。

これはユングが述べていること(優れた仮面は「私生活」によって補償されている)であり、周囲を見渡しても仕事が出来る人間の多くが、家族想いでないとかプライベートはだらしない部分とかよくあり、これは別に偶然でも何でもないのです。

愛妻家でミシンの針のごとく同じ穴を飽きもせず突きまくる人間が、仕事面においては話にならないなんてよくあることで、それは人間の役圧された負の部分が仕事面において解放されてしまったからであり、小泉純一郎とか安倍晋三なんてその典型例で、おそらく小泉進次郎も同じ穴のムジナいや、同じミシンの針なのだと思います。

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【抑圧された日本人虐待願望という願望】

前述した通りにまじめな緊縮リベラル派っていわば誰にでもある抑圧されただらしない部分が無意識の中に抑圧され、知らず知らず無意識に解放しようとして、日本国民の貧困層を地獄に追いやってるのだと私は確信しています。

こう述べると緊縮リベラル派は

そんなことはありえない!消費増税した分の使われ方が悪い!無駄な人の通らない道路に土建屋を潤わすだけのダム建造、あの無駄を省いて予算に充てればいい!

こう発言するわけですけど、その無駄を省いた結果が去年の西日本豪雨に台風15号・19号の惨状であり、多くの日本人の命や日常を奪うことの結果として、その抑圧された負の部分が現実として解放されたのです。

さすがにダムや堤防の建造に関しては今は閉口しているところで、今度は人の通らない道路や人の通らない橋は無駄だとなることでしょう。

おい、おい。約8年前のことを忘れていないか?(これも次のブログで扱う大切な概念の「忘却」というキーワードです)

これって、土砂災害により国民のライフラインを絶たれそうになった奈良の十津川村のような地方を死に追いやることだし、リベラルがこんなこと言ってる時点でオカシナこと言ってると自覚すべきなんです。

財政破綻という恐怖により財政健全化という美辞麗句を唱え、緊縮政策により自分らだけが民を虐待し自己責任だと言っているエニウェア族のグローバリストと同じことやらかしているのです。

緊縮保守派は意識的に、緊縮リベラル派は無意識に。

この違いだけです。

尊師がいうからつまりはノーベル経済学賞受賞などの権威のある人が言うから間違いないって具合に、無意識では抑圧された部分は活発で意識においては思考を停止してしまって


【無意識による反国家主義】

実はプロテスタントの自称愛国者のマーガレット・サッチャーが反国家主義者となってしまった理由も、ペルソナ(仮面)を同一化してしまった悲劇によるものとも考えられ、彼女の抑圧された「他人に社会によりかかる」という例外なく万人がもっているゆるい部分を否定してしまったからなのでしょう。

ハイエクの書物を手元に置いて影響を受けまくり、いわば仏教思想の中庸の精神に疎かったといえます。(ハイエクはバカだから中庸をアホな解釈してましたが)

プレイベートが多少だらしないと、自分を赦すとかするとかなり、そうなると他人も赦せるようになり、これも実は次回に述べることとなるでしょうが、サッチャーみたいな人間がそうさせないのは欠乏がその人を支配しているからなのです。(やはり莫大な量となってしまい、尺の関係でとてもブログなんかで語りつくせるものではありませんでした)


【緊縮である限り同じ】

まじめな緊縮リベラル派なんてサッチャーと実は酷似しており、私生活と外のペルソナを無理から一致させてしまい、そのために私生活における家計と、日米などの変動為替制度を採用している自己通貨立の国債を発行できる中央銀行を子会社とする国家の会計を、同一視してしまうのです。

いくらMMTにみられる貨幣のオペレーションシステムの事実を示したところで、この抑圧されただらしない部分の処理する箇所がない状態です。

いわばPCでいうところのHDなりメモリーの容量不足で、そうなるとPCでいうところのブルー画面連発のフリーズ状態の連発となり、オウムのごとく

” 放漫財政! ”

とまさに、レントシーカーや経団連や財務官僚以外の緊縮保守派の連中と同じレトリック(ハイパ~インフレ~ション)を使いつづけるしかなくなるのです。


【いつもの】

そして、

天下り許さない ⇒ いつもの連中の笑いが止まらない
国庫支出金以外の地方交付税・交付金削減 ⇒ 自治体の予算窮乏で水道民営化・国民皆保険崩壊により外資の保険会社が介入・非正規の公務員増加・インフラ防災対策軽視で日本人の日常が危険にさらされる・公立の保育所廃止⇒ いつもの連中の笑いが止まらない

自分で儲けるという特定の連中の笑顔がゴールとなり、こうしていつものパターンが繰り返されるのです。緊縮リベラル派の意図しない無意識によるオウンゴールというところです。

(次回補足編につづく)


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