国家と社会と共同体の定義ー売国奴に告ぐ


本日行われるビル・ミッチェル来賓の第2回MMT国際シンポジウムの参加だったのですが、よくよく場所を確認しておらず遠すぎてキャンセルすることになりました。

【国家と社会の定義】

さて、これまた抽象的な話題なんですけど、国家と社会というものは言葉そのものが違い、定義によりまったく違うようになるのですが、国家と社会とどう違うのかを説明することは私なりにはできるのですが、これって明確に定義されていないし定着もしておりません。


【国家の定義もままならず】

そもそも「国家」の定義自体が論客によりさまざまであり、これまた難儀なところです。

国民国家nation state

国民が国家の防衛という基本的な一点で平等化され対等なものとして扱われている

という解釈は佐伯先生の本にあったのを仮託してとりあげただけであり、とにかく「国家」そのものを自体を定義するのも困難なのです。

国家についての考察

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【家族とfamilyは違う】

ちなみにというものを私は「時間の共有」にあると勝手に定義しましたが、家って英語ではfamilyであり語源はラテン語のfamiliaであり、

人間でなく物も含む

わけです。

familiaというものは奴隷・馬・ロバとかの家畜

であり、これに対して家から離れた家畜peduniaは所有物、財産というものであり、日本の家族と西洋のfamilyと同等に扱うことはできません。


【社会の定義】

これでも福沢諭吉の国家と佐伯先生のいうnation sateはほぼ同じような意味であり、というか無理からここへ結びつけたようのも思えますが、次に「社会」とは何ぞやとなるわけです。

私は「社会」の定義をスメルサーや尾高邦尾先生にならい、

人間の相互関係が継続しそれが役割や地位となりその集団

としております。


【共同体と社会を分けるポラニー】

ポラニーは「国家と社会」を分けて考え、しかも「社会と共同体」も分けて考えています

マルクスは共同体と社会を同じように考えていたようですが、ポラニーは共同体は社会を超えていると考え、社会が常に不完全であるのは権力経済価値が社会に内在しているからであり、それらが他者の行動や選択を強制力として作用するとし、やはりこれは共同体とは違うととらえていたのです。

権力というものは権利を多く有している者であり、多くの人に義務を負わせれるわけで、例えば株主であるなりそうなると労働者なんて交換可能な部品として考えたりとか、そういう強制力を持っているのが社会だとしていたようです。

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【共同体の特徴】

では、共同体とはどうなるかというと、以下の3つの行動原理が主体となります。


【家政とは】

何度も述べていることなのですが、上の図から共同体は中央政府(×連邦政府)を有している国民国家と共通していると思えます。

②の再分配の運動は一度財源を中央へ集め、地方へ交付金等で分配する制度的パターンであり、③の家政の自給自足の閉ざされた集団なんてまさにそうです。

エネルギーの安全保障
国防という安全保障
食料の安全保障
インフラ開発メンテナンス
工業・サービス業・医療・教育・福祉

これらが自国で賄えないと当然自主独立出来ていない状態であり、そもそも日本は国防において敗戦から属国であり、自分らで何も決められない鬱憤が溜まっているのだと思います。


【会社内でも崩壊している精神】

企業の参加型経営システムでも、自分らで決められないとなると参加する意識を喪失し、バラバラな個人の集まりとなり組織として脆弱になりやすく、国家においてもおいても同様だと思います。

故に、「相互集団的価値観」の強い個人主義が定着していない日本で、成果主義を導入すれば従業員の関係が不和になり、逆効果なのです。なぜなら、日本と西洋とではまったく異なる歴史の流れや地政学的な影響から違いにより慣習や文化に当然あるなのですから。

” こんな雑務しても評価されないから損だ! ”

と組織に必要な仕事が軽視され

今だけカネだけ自分だけ

のおぞましい従業員ばかりになるのです。

成果主義と個人主義は切り離せなく、こんなの日本に適用してアメリカやヨーロッパと同じように機能するわけないのです。


【グローバル政権の地方への兵糧攻め】

ただ、ポラニーのいう共同体の行動原理の①の互酬という先に与えるとか相互扶助を国家に当てはめると、ここがリベラル派と保守派の対立するところですが、社会保障の充実保守派の嫌うBIとかもこれに該当するわけです。

老後やいざ何かあった時でも安心できるのなら、民間の保険に介入する必要もないし貯蓄する必要もなく、これ本来国家がしていないから日本人は貯蓄しまくろうとしているだけなのです。

社会保障の充実は必ず民間の保険会社が反対するわけですけど、社会学では民間の保険はご法度であり、実際それらに加入していない連中の自己責任切捨てとなり、国民の紐帯断絶となっていると思われます。

財政破綻論における地方交付金等の削減は自治体への兵糧攻めで、国民皆保険から介護保険に至るまでの社会保障制度の破壊です。


【インバウンド頼りの末路】

これから日本は失われた30年に突入し、このまま50年となり供給能力がどんどん落ちていくわけですけど、日本円なんて途上国以下の価値になると思います。

もう同胞日本人の少女が近隣アジア諸国を中心とした外国人観光客に貧困故に身体を売る段階に来ており、私はここ10年以上アウトローの連中と関わっていないから知らないだけで、もうなっているのかもしれません。


【緊縮財政とグローバル化がセットの理由】

2008年10月からこれまで「社会保険庁」が中心に運営していたのが、都道府県ごとに財政運営させる「全国健康保険協会」へと運営方針が変わり、そうなると弱い自治体はどうなるか目に見えてわかります。

緊縮財政の兵糧攻めで運営できなくなるとそこに登場するのが、

民間の保険会社

であり、アフラックなどの外資なんてまさにそうです。

” よ~く考えよう。おカネは大事だよ~ ”

というCMは小泉・竹中の時代の2002年ぐらいに流行したのですけど、私が外資側なら規制改革推進会議などを通じて、がんがんやりまくります。


【ハイエクの妄想とレントシーカーの存在の事実】

市場の競争なんて最初からする必要もなく、ハイエクの自由な競争自体が妄想でしかありません。サティアンに引きこもっている経済学者は否定するでしょうが。

社会学では、

社会は地位や役割により構成されているけど、個人や集団は利害による

ものでそこから齟齬が生じ、ロビーイストレントシーカーの存在が必然的に現れ、絶対にここは度外視できないわけです。(これもこのブログで何度も述べていることですけど)

本来なら社会と個人や集団の不協和を調整するのが政治なのです。


【言葉の定義の難しさと必要性】

要は言葉の定義とその定着は大切なのですが、論客によってさまざまであり困難であり、しかしながら最初にそれを確認しておかないと、議論どころか討論すらできなくなります。

貨幣の定義において、日銀当座預金(準備預金)と私たちの銀行預金と同じにして語るとまともな議論ができないのと同じです。

輪転機を回すとか札束を刷るとかの言葉も同じで、キーストロークを知らない人(ほとんどの人が知らない)からすると、銀行預金と同じだけ紙幣や硬貨が存在すると思いこんでしまい、金本位制のごとく希少価値のあるモノに価値があると考えてしまうのです。

普通考えて紙幣や硬貨やデーターの情報そのものに何の価値なんてなく、例えば紙幣を使用するにあたってアラジンの魔法のランプのごとく魔法の術式が展開されて、財やサービスを受けるわけではなく、その背景にあるのが供給能力であり、それをつきつめていくと、おカネを貯めたところでこのまま失われた30年40年50年となると、以下のブルーの部分が毀損されまくり、今の途上国以下の通貨価値しかなくなるのです。


【売国奴に告ぐ】

そうなると、自分らの子孫の代が現在の途上国に出稼ぎ労働に行き日本へ送金し、前述したとおりに日本の貧困層の少女が、今現在途上国扱いされている国の男どもに身を売るようになるのです。

どういった連中が売国奴なのか自分の頭で考えて理解できるはずです。

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(注意)この本読んでませんがだいたい想像はつきます。

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