リベラル派の桎梏・前編ー消費にこだわる理由


【戦争のトラウマ】

なんか、過去ログで山本太郎の支持者の多くに明石順平大先生の影響なのか、財政破綻論者が非常に多い事を言及したと思います。

結論から述べますがそれって佐藤健志さんの本の『平和主義は貧困への道』に記述されている、戦争への異常なまでの忌避する精神がそうさせるのだと思うわけです。

平和主義は貧困への道 または対米従属の爽快な末路
佐藤 健志
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【暴漢に対しては力が】

鬼畜米英に対するリベンジの洗脳教育を受けたり、子供の頃からゼロ戦のプラモデルをつくったり、新谷かおりの漫画『エリア88』や『ファントム無頼』の影響を受けたりして戦闘機好きだった私でも、やはりリアルな戦争は嫌いで正直距離おきたいと思っています。

それでも『進撃の巨人』じゃないけど、世界は残酷というのも現実であり、そこは国防という安全保障の意味ではいろんなことを駆使しないといけないわけで、そこで国防も今の現状では必要な概念であることは否定できないと思ってます。

自衛隊がガンジーみたいに寝転がってると隣国は喜ぶだけで、交渉とか外交とか有利にするには個人の腕力と同じく、「なめてたらしばきたおすぞ」みたいなものが必要なのです。

女がいくら口だけでぴーぴー吠えててもいざ富士の樹海で男と2人きりになると何も成すすべがないわけで、所詮最終的には暴力による裏づけがなければ意味ないのです。


【なぜ中高年ネトウヨオピニオンリーダーが増加したのか】

年齢が増すと体力も筋力も落ちますが、暴漢にたいして一番簡単な対策法は自分が強くなることであり、佐山聡の初代タイガーマスク世代としては単純に力をつけることを、だいたい皆私たちの同世代のバカな子供たちは考えていたことだと思います。守りたいもの守るためには力が必要的な。

しかしながら虚弱体質のまま大人になり思想だけマッチョ思想を注入されて、なんか傲慢な中高年ネトウヨ様が跳梁跋扈している悲劇の惨状が、今の日本の典型的な社会現象だと思えるのです。

社会的地位とやら生活の安定とかそいういう力を得たら、それを国家に投影させてマッチョにしたがるような心理が働くのだと思います。国家の構成員として自負心に目覚めるわけです。それか大人になってジムに通って筋トレしてマッチョになるとか、あっ三島由紀夫ですね。

マズローのいう所属とか承認欲求を満たしたくなるものです。


【財政破綻しないのに優先事項をつける】

私は保守派と異なり結構リベラル派のツイッターのつぶやきやらブログなりを拝見しているわけですが、反緊縮を掲げておりながらどうしてもトレードオフを行いたがる、つまりは緊縮財政をしたがっている論客が非常に多い印象を受けます。

MMTを掲げて日本やアメリカのような先進国で自国通貨で国債を発行している国で財政破綻はありえないということを是としながら、一方で

” 景気拡大効果は公共事業よりも所得給付のほうが絶大! ”

とかよくあるパターンで、おいおい、財政破綻がないのならそんなこと述べる発言もないし、そもそもインフラネットワークってそういうことでなく、その地域に住んでいる人の生活向上や、結果として震災大国としては物流・ロジスティクス(もともと物資調達の軍事用語)としての機能があるため、あらゆる迂回ルートにより物資を調達できる利点もあるということが、国家を維持していくことに関して非常に重要となると思われます。

てか、ロジスティクスが軍事用語で国防もダメになるとか、まじでもう病んでるとしか言えません。インフラネットワークの不備は東北の震災や奈良の十津川の土砂災害で、地方の人が生き埋め状態になることを学んだはずなんですけどね。

大体、ここらの人はケイジニアン左派の学者のデーター引用しているんですけど、「コンクリートか人」でなくそもそも太郎が「コンクリートも人も」公約を掲げているのですから、おかしいわけです。ニューディールってモロにケインズ主義だし給付金でカネよこせなんてだけなんて言ってなかったはずです。


【消費に重きをおく反緊縮リベラル派】

結構、杉田水脈の生産性発言に関していろんな意見があるのですが、マクロ経済学好きな反緊縮リベラル派も結局ホモエコノミクスの領域でつまりは同じ舞台で議論を交わしているように思います。

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「人間の存在意義」って本来の哲学的や宗教や倫理の分野に対して、「経済的に」と同じ土俵で役に立つのかどうかで返答していたら個人的な意見ですが同じだと思います。

ガルブレイスが指摘した、資本主義と大企業の存在とそこからくる消費主義の問題なんてその典型例であり、収穫逓増の法則ともいえますか、問題をつくりだした次元で同じように問題をつくりだす次元で返答してもまた同じような問題につきあたるのではないでしょうか。

それよりも、生産と消費というミクロ経済学つまりは主流派の経済学の領域で物事を考えているとしか思えないわけです。だから、「人の存在意義」に対して、生産と消費だと変数が少なすぎるってか、そこじゃないと思います。

結構リベラル派の中で給付金による消費の拡大に重点をおく論客が多く、これ、ハイエクのいう消費者と生産者の対立軸と土俵は同じであり、この攻撃に対しての模範解答例が「消費者は別の側面にたてば生産者である(例えば野菜を購入するときは消費者だけど仕事して収入を得る場合はその業種の生産者というような意味)」だったのですが、フランク・ナイトはこれに対して「全ての者が例外なく消費者である」とかふっかけて、まぁ詭弁に対して何いっても同じでキリがありません。

そもそもリベラル派はそこから(消費者は別の側面では生産者)も背を向け、消費が需要であり生産をうむ雇用をうむみたいなことを考えており、確かにそうなんですけどそれで防災や国防やらつまりは建築・土木・製造業もちろん農業も疎かにするというか、結構やばい傾向だとしか思えないわけです。


(次回へつづく)

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