うしろめたさと自己責任論者との関係

【貧困化すると更に下の者を叩く】

(まぁ、このブログの内容も11/7(水)の休みの時にまとめてカキコしている内容で、自動更新されるようにしています。)

90年代ぐらいまで自己責任論は日本ではマイナー思想であり、私のいいかげんな主観的な判断からすれば、2000年代になってデフレが問題視され、そこで小泉・竹中の構造改革あたりから、跋扈(ばっこ)しだしたのではないかと存じ上げます。

”成功者を妬む社会であってはならない!”
”感動した!痛みに耐えてよくがんばった!”

とか言って。

バブルの時までは生活保護受給者を叩くことなど当然のことありえず、むしろ弱者叩きはイジメでしかなくみっともないと思われ、誰もそんな卑しいことはしなかったわけです。

構造改革・消費税増税などを通じて、多くの人が貧困化しだしてから、自己責任論が跳梁跋扈したのでしょう。


【攻撃の置き換え】

霊長類学者のフォルカー・ゾマーのいう「攻撃の置き換え」は、マカクザルの観察によるものですが、

①弱い猿は強い猿に逆らえずそのストレス(不満)を抱え、②うっぷんばらしに更に下の女猿を叩くようになり、③その女猿がまた同様に子供の猿を虐待するという

一連の流れのことを指します。

生活保護受給者叩きも同様であり、ブラックな労働環境に陥るとその労働改善なんて事実上不可能であり(転職先なんてブラックなところばかりだし)、そうなると

”俺は我慢して労働してるのに、生活保護受給者は甘えている!”

となるわけです。


【ルサンチマンは同胞である証し】

三橋貴明さんは公務員叩きなどは単にルサンチマンと言いますが、ことはそんな単純でなく、嫉妬というものはいわば権利の要求であり、嫉妬が女偏であるのも女性は平等を重視するからなのです。

平等であるが故に権利を欲求し、それが故に嫉妬するのです。

公務員叩きとかルサンチマンと言いルサンチマンを抱く者が小さい人間のごとく言いますが、別にその公務員が南アフリカの人間ならルサンチマンなど抱くわけなく、

同じ日本人で同胞だから

ルサンチマンを抱くわけです。
ある意味まだ正常な現象なのです。


【平等の大切さの意味】

中野剛志さんを好きな人なら誰でも知っている、トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』でこう発言しています。

>一国の人民の中で地位がほぼ平等であるとき、誰もがほぼ同じ考え方、感じ方をするから、誰にとっても他のすべての人の感覚を瞬時に判断することができる。

>同胞が自分と平等な地位にあるときに対して人間性に満ちた対応するその人間が、ひとたび平等が消えると、同胞の苦痛に無感覚になる

これは官と民も格差でも同じく、公務員が定年65歳にまで簡単に雇用延長でき、老後も退職金や共済年金などで身分保障され、一方で中小零細企業では退職金なしに雇用延長なしで、あるとしても日当何千円のパートであるとか、そんなんで同じ国民・同胞意識などもてるわけがありません。

沖縄や東北の被災地のごとく、日米地位協定・普天間、TPP参加・農協改革などされると、日本国・中央政府から見放されたと思うの一方、東京を含む都市部はふるさと納税がどうとか地方には無関心でこれらの問題も同様です。

これは普通の心理で、どうしても人間は同じような地位や経済状態でなくなると、同じ人間と思えなくなり、その人の不幸事に対して対岸の火事のごとく思ってしまう人間の悲しい性なのです。


【官と民の格差は意図的】

過去ログでこれは述べたことなのですが、マーガレット・サッチャーが労働組合叩きや構造改革を断行する際に使った方法が、

公務員(警察)の厚遇

なのです。

官と民を分断させて暴動を鎮圧させるための、グローバリストの常套手段なのですが、グローバリストにとって同胞意識をもたれたら相互扶助されてたまったものじゃなく、社会全体を常に疑心暗鬼の状態にしないといけないわけです。(グローバリストは弱者同士対立させます)

安倍総理は企業に65歳定年を義務づけしようとしているけど、年功序列で高くなった給料を3割カットとかこんな甘いことが民間企業でできるわけなく、断行すればそのしわ寄せが若年者の低賃金となって実現するだけです。


【成功者が弱者を叩く理由】

さて、話が逸れましたが本題にはいります。

不思議なのが、弱い者が弱い者を叩く「攻撃の置き換え」による自己責任論でなく、なぜか松本人志や百田尚樹に高須院長などの経済的な成功者までが、弱者叩きをして自己責任論をかざしていることです。

こうなったことについて一つの仮説を上げます。

それは税制の改正にあると思います。


【所得格差が拡大するのも当たり前】

 

1986年では88%の最高税率だったのが2015年では55%と下がってしまい、そのしわ寄せが消費税や軽自動車税などの庶民増税となり、庶民に負担を強いることになってしまっています。

ぶっちゃけ、89年の消費税導入以降で所得税も法人税も税収としては降下の一方で、消費税は跳ね上がり社会保障費の分配率も低下して、つまり

庶民は貧乏になり金持ちはより金持ちとなったわけです。


【救いの思想の自己責任】

実はネトウヨ思想の経済的な成功者の多くは、この逆進性の税制変更の恩恵に相当あやかっており、その一方でモロにうしろめたさを感じているではないかと私は思うわけです。

それほど活動内容に変更もなく、労働時間が増加したわけでもなく、しかし税制を変更するだけで手元の富が自動的に増加してしまうわけです。

その一方で多くの民が貧困化するわけですから、これでうしろめたさを感じないほうが不思議です。自分が貧困化していると思うのでしょう。

ここでこれを打破する救いの思想が

自己責任論

なわけです。


【続(ケインズに続く)・自己責任の終焉】

こんな糞みたいな思想の終焉はケインズも論文で指摘したぐらいで、生まれた時代や家庭環境などの影響を度外視することなど不可能で、自己責任を語ること自体恥ずかしいこと極まりないわけです。

 

格差はどうしても子供に受け継がれやすいもので、それを打破していたのがかつての日本の累進課税の制度であったが、その恩恵に存分にあやかって育って成功した連中が、次の世代には逆進課税の制度を自己責任論で強要していると、私は分析している次第であります。

インフラ整備の恩恵にあやかった団塊世代がいざ自分が引退すると、自分のための社会保障費充実のための消費税増税に賛成するのも同様です。
自分が死んだ後は関係ないと子孫への投資を怠っているということです。
国の借金とかデマを信じて。

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