用語説明ー抽象的とは


まぁ、前回のブログでは熱狂的愛国者が抽象的な日の丸の国旗や万世一系の天皇制の国家像を描いていて、リアルな目の前の同胞を軽視しているようなことを述べました。

では、その抽象的というものはいかなるものでしょうか。


【抽象的なカラス】

カール・ポパーの本に紹介されている考えかたですが、一般的にカラスと言ってもどのカラスを指しているのかわかりません。

2018年8月5日の午後5時のJR大阪駅の電線の上に止まっているカラスは具体的なカラスですが、単にカラスと言えばそれはどのカラスを指しているのかわからず、それは抽象的なカラスとなります。

志村けんさんの替え歌のカラスであるのか八咫烏なのかわからず、それは単なる抽象的なカラスとなります。

実はリアルなカラスではないのです。


【線といものはリアルでは表せない】

佐伯啓思氏の本では線というものは実はリアルには存在しません。
あくまでも形而上の概念でしかなく、黒板にチョークで引いた線はあくまでも幅があり、概念上の線には幅がなく単に長さがあるだけです。(幅があるとそれは四角形になります)

まぁ、これもオズベルト・シュペングラーが先に言及していることで、佐伯先生が思いついたものではありませんし、シュペングラーの前にもこのことに関しては言及していたと思います。


【国家という概念は歴史が浅い】

さて、ようやく本題に入りますが熱狂的愛国者に共通しているのは、国家といものがあくまでも抽象的な概念でなく、そんなものはリアルには存在しないということを認識してないと思えるわけです。

オルテガは国家というものを技術と若干皮肉っていますが、私も同感です。

なんせ、国家というものは近代国家と言われるぐらいですから歴史は非情に浅く、事実日本で国というものはあくまでも「くに」であり、藩を表し国家というものは存在していなかったわけです。

昭和の時代では「くに」はどこかと尋ねられれば、あくまでも山形とか福島とか山口とか答えたものです。

明治の藩閥政治により無理から日の丸=国家と無理から意識づけをしたわけで、それに関して熱狂的愛国者のほとんどが意識していません。


【混乱の自称保守派】

杉田水脈にしても自称保守にしても、まず用語の定義が曖昧であり、自分が何を思い何に所属しているのかまるで理解できていないように思われます。

例えばリベラルという言葉を容易く使用していますが、リベラルとはlibertyつまりは身体的な解放を意味しているわけで、コミンテルンのような左翼とかまったく意味が異なるわけです。

幼女監禁解放や奴隷解放を左翼思想とか言わないですね。

酷い論客になるとリベラル=マルクスと自家撞着・荒唐無稽な発言をしているわけで、これらの解釈が不十分なままでいると、自身が保守とか自称してしまうわけです。


【保守とは変化の漸次性を是とする】

実は自身が保守と名乗るが、なら保守とは何ぞやを定義づけが曖昧どころか、自身が保守のアンチテーゼであることを意識していない論客が非情に多いように思えます。

保守でない私から見て保守とは、

変化の漸次性を主張しているが事実何も変わっていない

そういう連中を保守と見ています。

彼らは私みたいな人間をリベラルと言い、一方で彼らはあまり自身を保守とは言いません

実は、自身を保守と言わない人間の多くが保守である場合がほとんどです。


P・S

本来、保守と私みたいなタイプの人間が対立しているはずなのですが、そこに周回遅れのグローバリズムの急進的逆進派が世の中を荒らしまくり、対立できない状況です。

彼ら彼女らの多くが自身を保守と言ってますが、TPP賛成に安保法制改正賛成で保守とかそんな感じです。米国隷従を保守するならまぁ言い返せないわけですけど・・・。

 

 

 

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