議論せずまま改憲


首相「次の国会に改憲案」 9条改憲優先度、争点にー2018年8月14日 朝刊 東京新聞

>安倍晋三首相は十二日、地元の山口県下関市での講演で、憲法九条の一、二項を維持した上で自衛隊を明記する自民党改憲案について「次の国会に提出できるよう取りまとめを加速すべきだ」と語った。

>首相は講演で総裁選について「党員の間で(改憲)議論を深め、一致団結して前に進むきっかけとなることを期待する」と指摘。自衛隊明記に向けた「決意」を表明し「いつまでも議論だけを続けるわけにはいかない」と、改憲原案の国会提出に向け、まずは党内で早期に結論を出す姿勢を強調した。


【議論してた?】

いつまでも議論だけを続けるわけにはいかない

??

まず本当に議論しているのかどうか疑わしい限りです。


【自己責任憲法】

まぁ、私は従来から警告しているように、今回の改憲内容の目玉は

弱者切捨ての改正自己責任憲法

であり、権力者を抑制する機能を廃した憲法になると思われます。

第三章(国民の権利と義務)家族の尊重と家族は互いに助け合い

第七章(財政)財政の健全性を規定


【憲法は権力を抑制させるため】

もともと近代化を遂げた憲法に基底されている精神はマグナカルタ憲章であり、つまりは権力者は力が増大であり、その立法機関であるが故に、例えば消費税増税すれば国民は払わなくならなくなるし、特に内閣は実に権力が集中しやすいために、その権力の抑制のために英国のジョン王により設定されたものです。(当時は貴族と王との対立の構図でしたが)

しかも、内閣はインナーキャビットといわるようにマーガレット.サッチャーの存在などから理解できるように、独裁者が現れると権力が集中してしまいやすいわけで、ここで憲法を国民が権力者に守らせなければならないわけです。

これがマグナカルタの精神なのです。

小室尚樹氏が著書『日本人のための憲法原論』で述べているように、憲法ってあるだけでは何ら機能しなくなり、事実戦前のドイツ国民がワイマール憲法を無視を許したためにあんなことになったわけです。


【憲法違反の社会福祉制度】

実はもう既に安倍政権で憲法違反を堂々として、ほとんどの国民がそれに無関心なわけです。

例を上げるときりがないわけですが、憲法25条の健康で文化的な生活というものは国家の責務を放棄していると思われます。

もうこんなものは論外であり、生活保護にしても医療にしてもその財源のやりくりをしているのは自治体であり、しかしその財源は限られているわけであり、自治体によりそのGDPは格差があると、中央政府が福祉・教育・医療・インフラに投与する交付金を渋れば当然そのしわ寄せが市民にくるわけです。


【安倍政権・消費税増税して生活保護受給者カット】
安倍政権、生活保護費160億円カット…約8百万世帯が生活保護水準以下の生活かー片田直久/フリーライター018.06.27

>「1億総活躍社会」を掲げる安倍晋三政権は、一方で生活保護基準の引き下げに執心してきた。2013年から、生活保護基準の最大10%にも及ぶ引き下げを断行。全国29都道府県で1000人近くが違憲訴訟を起こす事態になっている。さらには、今年10月から3年間かけて、平均1.8%、最大5%、年額160億円の引き下げが予定されている。

生活保護費を引き下げると当然、生活保護を受けれらない世帯も増えるだろうし、ただでさえ貧しい生活をしているはどうなるでしょうか?


【兵糧攻め】

私の住んでいる地区は今日は空き缶を捨てる日なのですが、今、外で空き缶の音が非常にやかましいです。これは想像ですが

ひょっとしたら引き下げられた生活保護費を保管するために、空き缶を拾って収入にしている可能性があるのではないかと。

恐らくこれが(空き缶拾い)ばれると不正受給となり、支給が切られてしかも不正に受け取った額を返済しないといけなくなります。

グローバル政権というものは実に手口が巧妙であり、まず生活保護受給者を怠け者で乱暴でどうしようもない印象操作して、次に兵糧攻めをします。

生活保護費削減⇒生活に困り不正受給⇒不正受給打ち切り⇒不健康で最低な生活という憲法違反

愛国者が国民を切り捨てるとかありえないでしょう。


P・S

こう言うと

”働けるなら働け!”

と言う論客もいるでしょうが、私の友人で仕事のストレスで鬱病になり、10年以上も生活保護を受けている人がいますが、無理に働くと次は病気になったり犯罪を起こしたり、まぁ更に問題が悪化すると思われます。

そんなことよりぶっちゃけ、生活保護を受けるよりも働いたほうが豊で充実できる社会にシフトチェンジしたほうが建設的だと思うわけです。

だから、今回の改憲は自衛隊とかそんなのぶっちゃけどうでもよく、グローバル政権の危ない改憲内容をチェックしてほしいわけですけど、皆生活に負われて無理でしょうね。

私も天気悪くてツーリング行けないから、たった一日の盆休みにブログを更新したわけです(笑)

 

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公務員定年65歳と同胞意識の断裂


国家公務員定年65歳に 悪質改ざん免職か停職 人事院意見書ー東京新聞web

 

>人事院は十日、国家公務員の定年を現在の六十歳から段階的に六十五歳まで延長するよう求める意見書を国会と内閣に提出した。延長後の給与は七割程度に抑える。実現すれば民間や自治体にも波及しそうだ。二〇一八年度の給与改定は月給、ボーナスともに五年連続で引き上げを勧告。学校法人「森友学園」を巡る財務省の決裁文書改ざんを踏まえ、公文書偽造など悪質な行為をした職員の処分は懲戒免職か停職と指針で定めることも報告した。


【能力以上の組織の負担】

この記事を載せると

”公務員へのルサンチマンの表れだ!”

と批判浴びそうですがこの記事で何か妙な感じがする箇所があります。

延長後の給与は七割程度に抑える

これって、延長しようがしまいがその職員の能力が変化するわけでなく、ぶっちゃけ定年直前の給与って3割増しに国や自治体が負担しているっと暴露されてるんじゃないのかな。

民間でもそうですが年功序列や終身雇用によって、組織が人件費を余計に負担しており、それでグローバリズムによる10年に一度の不況によりリストラが民間では実行されて、均衡を保たれるんじゃないですかね。


【歪んだ社会】

年功序列や終身雇用自体が、労働力を商品化して切り売りする近代化に反しているわけで、確かにマクロ経済で労働市場の上昇つまりは賃金上昇により購買力が増加するというメリットがあることを否定はしませんが、企業にとって人件費の負担増はその存続を危ぶむ結果となりかねません。

サラリーマンと違い公務員って失業の心配もないし老後も安泰であり、ぶっちゃけインフラ整備や社会福祉を削るなり増税するなりすれば身の安全を確保できるから、こんな歪んだ世の中になるのだと思います。

民間でも50代だと昔ながらの年功序列により、組織がその人材の能力以上の負担増をしている会社が多く、多くの人材がぶっちゃけ年収200万以下の非正規程度で十分であり、それでも年収400万ぐらいの人がかなり多いわけです。

それを確認するためにその人が会社を退職して、年収400万円で雇用してくれる会社が見つかるかどうか試みるとよいでしょう。もし同列の賃金で雇ってくれるところが見つかれば、その人の能力と給与が合致しており、そうでなければ厳しい言い方ですが、組織のお荷物であるととらえらえます。

そこでその矛盾の辻褄を合わせるために、派遣やパートを安く雇ってその穴埋めをする歪んだ組織体系となっている会社が多いのではないでしょうか。


【利害と役割の齟齬】

まぁ、私は保守派ではないので昭和から継続している日本の歪んだ労働環境について掣肘を加えるような内容をブログなりに紹介してきたわけですが、川の流れが止まると水が濁るように組織の中も同様であり、そこでジョブローテーションなど試みるわけですが大抵失敗します。(笑)

それも組織や集団は自立した個人が組織人として労働力を提供して役割を担うことを要求するわけですが、しかしながら個人にしても組織人にしても同一の主体に過ぎず、つまりは必ず利害を有しておりその結果歪んだ労働賃金なり、職場なり官民との格差が拡大するわけです。

ついには同胞意識が希薄となり、つまり同じ種族・国民とは思わなくなるわけです。

>同胞が自分と平等な地位にあるときに対して人間性に満ちた対応する人間が、ひとたび平等が消えると、同胞の苦痛に無感覚になる

『アメリカのデモクラシー2巻(下)』岩波文庫

安全なところにいる人間がそうでない人間に対して同胞意識などもてるわけがなく、これは自民党の2世3世の政治家の政策内容や言動から分析しても、ぶっちゃけ一般庶民などとても同じ人間ととても思えないのも自然なことなのです。


P・S

本来のナショナリストであるなら格差ほど国家を衰退させるものもなく、むしろ官民のみならず都市部と地方、性差や障害をもっている人など、その格差を是正させるのが愛国者ではないかなと思っています。

こうなるとなんと共産党がナショナリストとなってしまいますね。(笑)

 

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用語説明ー抽象的とは


まぁ、前回のブログでは熱狂的愛国者が抽象的な日の丸の国旗や万世一系の天皇制の国家像を描いていて、リアルな目の前の同胞を軽視しているようなことを述べました。

では、その抽象的というものはいかなるものでしょうか。


【抽象的なカラス】

カール・ポパーの本に紹介されている考えかたですが、一般的にカラスと言ってもどのカラスを指しているのかわかりません。

2018年8月5日の午後5時のJR大阪駅の電線の上に止まっているカラスは具体的なカラスですが、単にカラスと言えばそれはどのカラスを指しているのかわからず、それは抽象的なカラスとなります。

志村けんさんの替え歌のカラスであるのか八咫烏なのかわからず、それは単なる抽象的なカラスとなります。

実はリアルなカラスではないのです。


【線といものはリアルでは表せない】

佐伯啓思氏の本では線というものは実はリアルには存在しません。
あくまでも形而上の概念でしかなく、黒板にチョークで引いた線はあくまでも幅があり、概念上の線には幅がなく単に長さがあるだけです。(幅があるとそれは四角形になります)

まぁ、これもオズベルト・シュペングラーが先に言及していることで、佐伯先生が思いついたものではありませんし、シュペングラーの前にもこのことに関しては言及していたと思います。


【国家という概念は歴史が浅い】

さて、ようやく本題に入りますが熱狂的愛国者に共通しているのは、国家といものがあくまでも抽象的な概念でなく、そんなものはリアルには存在しないということを認識してないと思えるわけです。

オルテガは国家というものを技術と若干皮肉っていますが、私も同感です。

なんせ、国家というものは近代国家と言われるぐらいですから歴史は非情に浅く、事実日本で国というものはあくまでも「くに」であり、藩を表し国家というものは存在していなかったわけです。

昭和の時代では「くに」はどこかと尋ねられれば、あくまでも山形とか福島とか山口とか答えたものです。

明治の藩閥政治により無理から日の丸=国家と無理から意識づけをしたわけで、それに関して熱狂的愛国者のほとんどが意識していません。


【混乱の自称保守派】

杉田水脈にしても自称保守にしても、まず用語の定義が曖昧であり、自分が何を思い何に所属しているのかまるで理解できていないように思われます。

例えばリベラルという言葉を容易く使用していますが、リベラルとはlibertyつまりは身体的な解放を意味しているわけで、コミンテルンのような左翼とかまったく意味が異なるわけです。

幼女監禁解放や奴隷解放を左翼思想とか言わないですね。

酷い論客になるとリベラル=マルクスと自家撞着・荒唐無稽な発言をしているわけで、これらの解釈が不十分なままでいると、自身が保守とか自称してしまうわけです。


【保守とは変化の漸次性を是とする】

実は自身が保守と名乗るが、なら保守とは何ぞやを定義づけが曖昧どころか、自身が保守のアンチテーゼであることを意識していない論客が非情に多いように思えます。

保守でない私から見て保守とは、

変化の漸次性を主張しているが事実何も変わっていない

そういう連中を保守と見ています。

彼らは私みたいな人間をリベラルと言い、一方で彼らはあまり自身を保守とは言いません

実は、自身を保守と言わない人間の多くが保守である場合がほとんどです。


P・S

本来、保守と私みたいなタイプの人間が対立しているはずなのですが、そこに周回遅れのグローバリズムの急進的逆進派が世の中を荒らしまくり、対立できない状況です。

彼ら彼女らの多くが自身を保守と言ってますが、TPP賛成に安保法制改正賛成で保守とかそんな感じです。米国隷従を保守するならまぁ言い返せないわけですけど・・・。