EUを夢みていたオルテガ


【ヘイトなオルテガ】

オルテガの『大衆の反逆』をざっと読み直したのですが、バークと同様結構ヘイトな内容で、なんが長いブログを読んでいるような感覚でした。

結構、気分が悪くなるような論調であり、バークが世襲の原理を採用しているのに対して、オルテガは世襲を「死者によってくるられた虚像」「親の七光り」と、日本の保守派とは逆のことを述べていました。

オルテガもバークも大衆批判をしている点では共通しているのですが、民主主義が多数派の暴政と警告していたトクヴィルとは対峙的な立場であり、ぶっちゃけ平等を否定しているわけです。


【同胞では同列、しかし現実は序列】

同胞という言葉では同列であるが、身分・獲得した地位という意味では序列をつくっているという矛盾こそが、オルテガやバークの保守思想の脆弱さだと分析しております。

結局、社会の変動モデルでは、同胞である内部からの緊張が起動力となり、既存の社会のモデルの崩壊、大規模では国家が崩壊しているのが歴史の考察から明らかであり、この現象も当たり前で、同じ国民では同列に扱っているが、地位や名誉・財産・世襲・所得と明らかに序列をつくって矛盾しているからです。

ジョージ・オーウェルの『1984年』でもスローガンが、「同志諸君!」「兄弟!」と同列・同胞意識を高める言葉で共鳴させ、一種のモルフォジェネティク・フィールド(形態形成場)をつくるのです。

しかし、そんなものは根源では不協和が生じており、財弱でありいずれ崩壊します。ルーマニアで独裁者を追放した経由からもそうですし、北朝鮮も簡単に手の平返して金に対しての見かけの忠誠など捨てるでしょう。


【平等精神のトクヴィル】

私がトクヴィルが好きなのも、以下の考え方があるからです。

>それぞれの階級はそれぞれの意見を持ち、感情を持ち、権利を持ち、道徳習慣を持ち、バラバラの存在となる。

>共通点を持たず、同じように考えたり感じたりすることもない。
人々は互いに同じ人間であるとき、ようやくそうすることができる。

人々のランクがほぼ平等である時、同じような考え方や感じ方をし、互いの感情は瞬時に理解することができる。

なぜ、格差(地方と都市、性差、収入、生まれ、官民)が危険なのかは、社会ひいてはその構成体となる国家そのものの、存亡つまりは消滅・分裂・解体となるからです。


【EU構想のユートピアを推奨していたオルテガ】

ぶっちゃけ、オルテガはソ連の5ヵ年計画に対抗するものに対して、ヨーロッパ統合の必要性、つまりは現在のEUの体制を支持しているわけで、むしろ保守的な思想家を糾弾しております。

バーク、オルテガ、トクヴィルって、単に大衆の危険性を訴えたところの共通点があるだけで、まったく本質的には別個の思想です。
保守であるのはバークだけでしょう。

オルテガは国家を形成するのは血縁でも言語でもなく政治的統一の目標であり、言語や血縁は後から同化されると、むちゃくちゃ急進的な思想をもっております。

オルテガを語る時は単に大衆批判に使うのでなく、彼の根底にある残基なるものもセットにしないといけないわけです。


【なんかわからない超越パワーが必要な国家】

正直、オルテガの構想はむちゃくちゃで、国家というものは拡大して統一体の物理的な原理と見えたのを超越しようとする努力が必要であり、その歩みをやめると国家は分裂・分散・原子化すると述べております。

そもそも、その国家を構成するのが権力者であり限り、当然利害に基づいておりこんなもの、上意下達などかなわず必ず軋轢が生じ、再分配が崩壊すれば当然国家も危機にたたされ、それを抑圧するためにディストピアとならざるを得なくなるわけです。

そもそもオルテガもバークも起点が間違っており、構成体を維持するには序列をつくるわけでなく、有機体としてとらるわけだけど、役割分担の重要性で切り捨てること自体がおかしいのです。

だって、同胞、同じ日本人というカテゴリーでまとめながら、序列をつくった時点で別のカテゴリーのものさしを使用して、もうそれが矛盾なのでそれは国民国家でなんでもありません。


【マドリードの人間であるオルテガの鈍感さ】

オルテガはスペイン人ですが、マドリード出身でありいわば中央政府側の考えであり、アラゴン・カタルーニャのことをなんとか統一維持させようと必死です。

オルテガは言語の違いなど国家にとって問題でないと言及しており、故のヨーロッパ統一であり、しかし少数派のすぐれた者の支配とその他の大衆の服従者の関係が必要であり、隷従することは卑屈になるからダメで、少数派のすぐれた者に対して敬意を示せと、何やら無理なことを訴えているわけです。

過去ログで、カタルーニャがマドリードにされたエグイ歴史を少し紹介しましたが、社会の変動の起動力そのもをまるで理解してないように思えます。

カタルーニャはマドリードに、虐殺・女性の強姦、出世コースの断念、何度も言語使用禁止され、その結果の独立運動なのです。


【トクヴィルを軽視したオルテガ】

まぁ、EUユートピア構想の失敗はドイツ第四帝国化して失敗したわけですが、一つの国とするならば当然中心性の運動が必至、つまりは再分配が不可欠なわけですが、ドイツ側はそれを拒否しているわけです。

ブルジョワ東京政府と同じく緊縮財政一直線です。

三橋さんの言ってる通りで、人・モノ・金の移動を自由にして、もうそれは一つの国家のはずなのですが、EUは国家維持の再分配をするシステムでもないし、それを勝ち組のドイツ・フランスが拒否しておるわけで、うまくいくわけないのです。

比較的に自国通貨を維持した国はその災禍から逃れているわけですが。

だから、グローバリズムは危険であり、これを第一期朝貢中曽根政権から、ずっと宗主国の執拗な干渉が継続しているのです。まぁ、リーマンショック時に、「宮崎の瞬間!」という言葉が東京証券取引所で発せられたら、こんなことにはならなかったかもしれません。


P・S

オルテガは国家主義はある意味、狂気と糾弾しており、国民国家を提唱しているわけですけど、グローバル化して国民国家って、もう閉口するわけです。

 

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