第三勢力①


【多数派の暴政】

よく第三勢力という言葉があります。

一般的にAという概念や集団なり存在すると、それに対峙するものとしてBが存在します。
米ソの冷戦構造などのパワーバランスもそうですし、経済学でも新古典派とケインズ派などありますね。
AかBかの選択によく迫られ中立が危険というのもマキャバリズムがその典型で、皆勝ち馬に乗っかろうとしているからです。

日本人なんて空気を規範としているのでその典型で、『はだしのゲン』で戦前・戦中にゲン一家を「非国民!」と讒言を浴びせた地元の権力者が敗戦後、「平和!」を連呼し、それにゲンがつっこみを入るシーンがそうです。

実は、多数派にいると日本では負ウマに乗っかっても、安全なのです。なぜなら、集団主義においてその集団がその選択を誤っても、多数派の意見が一番強力だから誰もなかったことにできるのです。

ある意味、カール・ポランニーがかつて責任は共同体のものであったと指摘したが、多数派の中ではその責任が希釈して、それが全体責任となり「仕方なかった」「知らなかった」と弁明がすでに、負ウマとなっても用意されているからです。

大衆の本質はmassその数の多さゆえにこれは不可避的に起こる現象であり、民主主義の危険性や集団主義の危険性は、責任の有無や投票に行かない無関心層をつくることにつながりやすく、欠陥だらけといえよう。


【資本主義と民主主義は相性が悪い】

経済学者のダニ・ロドニックスは、グローバル化・国民主義・民主主義はトリレンマの関係、つまりは全て両立できないと指摘しましたが、私は資本主義そのものが民主主義と両立不可能だと解釈しています。

カール・ポランニーは資本主義と民主主義にはファシズムのウイルスを宿っている、このように分析していましたが私もこれには同感であり、資本主義がブルジョワ・有産階層・富裕層に有利であり、民主主義はその圧倒的数ゆえに本来なら労働者階級に有利であり、相性が抜群に悪いのです。

だから、金権政治に陥りやすく、ローマ帝国もこれで滅んだし、シュペングラーも西洋文明末期には第四階級の大衆が誕生し、マスメディアがその大衆を煽動し、金権政治となり、滅んでいくと預言したのも、こういったことからなのだと思います。

ファシズムも経済と政治が直接結びつき、議会制度を麻痺させるわけですが、経済財政諮問会議・産業力競争会議・米国の直接支配の規制改革会議など、民主主義をすっとばして法案をつくり上げ、それを過半数の議席を有する与党が通過させればいいというのも、元々資本主義そのものがこういう性質だからです。


【創造のプロセス】

こう発言すると、「なら社会主義がいいのか!」と熱狂的愛国者あたりが、

「四本足はよい、日本足は悪い!」(資本主義はよい、社会主義は悪い!)

と糾弾してくるわけですが、まずそんな二択問題にすること自体、おかしいわけです。

ここで、第三勢力の登場となるわけです。
AかBでなく新しくCをつくり上げていくわけですが、AとBの問題をつくり上げた考えかたでは、同じことを繰り返すだけなので、保守派の仕事ではありません。

Cが出てくればDというものも当然生まれてくるわけですが、ならまたそのアンチテーゼのEが当然誕生してきます。そして、第三勢力Fが新しく創造されます。(この第三勢力誕生には異端・少数派が必至)

これが単純ですが古典的な創造のプロセスであり、特に日本は

A → B → A → B → そのうち痛い目合う → 外圧によるシステム変更・・・・無限ループ

の傾向にあります。
創造力が欠如した民族なのでしょう。

石油欲しさに戦争して代賛エネルギーが開発される前に原発を廃炉とか、まじでやめてくれと思います。こういうと、「福島の事故を繰り返すのか!」と反論されるかもしれませんが、これも

「四本足はよい、二本足は悪い!」(廃炉はよい、それ以外は悪い!)

に相当するわけで、別の選択肢もあるでしょってことです。

 

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【可笑しいでしょ】

例えば原発を国有化することにより、電力会社は採算を合わす必要がなくなるだろうし、原発を稼動させるかどうかは別として、原発は停止しているのなら電源が喪失してもメルトダウンが起こることもまずありえません。

石油価格の問題だけでなく、シュールガスでもその主導権を米国に委ねるのなら、もうそれこそ何時までたっても、自立できないわけで、エネルギー問題が解決するまでは廃炉することは賢明でないでしょう。

だから、北朝鮮の攻撃とか挑発して、原発稼動している中、何考えているのか理解に苦しみます。原発再稼動賛成派の多くがこう言ってるですし。
経済封鎖して戦争を起こした日本が、同じように隣国に経済封鎖して正気の沙汰じゃありませんし、その理屈だとハル・ノートも対話のための妥協案と解釈できてしまいます。(わざと日本のどこかを核攻撃を受けさせ、目を覚まさす目的なら別ですが)

国民(同胞)を守りたいのか、自分のイデオロギーを守りたいのか、空気を守りたいのか。(「空気読め」という言葉はよくないです。空気は吸うもので読むものではありませんし、読めません。空気だけに中味なしで言語として成立していません)


次回へ続く

 

 

 

 

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