マツコ・デラックス ”ネットカフェ難民にもっと公的サポートを”


松本人志とは真逆! マツコ・デラックスがネットカフェ難民問題に「もっと公的サポートを」と真摯な提案

>これを受けたスタジオではコメンテーターの古市憲寿氏らによりフリーターの高齢化問題や福祉による支援の必要性が話し合われていたのだが、それを不機嫌な表情で聞いていた松本は話を振られるとこのように吐き捨てたのだ。

>わからんようにちょっとずつ狭くしてやったらどうですか?」
「みんな優しいなぁ、話を聞いてると。俺、若干イライラしてきてんねん。ちゃんと働いてほしいから」

>路上でまずは始まるんやろうね。でも、路上で始まるほうが俺はなんか、チャレンジしてる感じがするけどね。路上なら頑張るんじゃないかな? なまじっか、これ(ネットカフェ)があるからさぁ! こんなもん蟻塚みたいなもんやから。みんなちょっと甘いなぁ」

>そのなかでマツコは、東京都調査の「インターネットカフェなどに泊まる理由」というアンケートの答えとして、「住居がない」が25.8%、「住居喪失の恐れがある」が2.1%という数字が出されていることから、ネットカフェユーザーの3割もの人が住居に関する障害を抱えていることを問題視。そして、彼らはその状況からなかなか抜け出すことのできない「負のスパイラル」にあることを同時に指摘していた

>3割以上もの人がなんらかの形で家に困っている人たちなのよ。これだからさ、もはやネットカフェの業者のほうにとっても立派なお客さんなわけじゃん、これ。3割以上を占めているわけだから。なかにはさ、もちろん、こういう生き方が好きでやっている人もいると思うけど、なかには、家の更新とかできなくなっちゃって、敷金礼金とかもなくて、で、そのスパイラルに入っちゃって、なかなかそこから出られずにいるって人も多いと思うのね」


【国家主義者と国民主義者】

まぁ、熱狂的愛国者である松本人志さんらしい発言ですね。
なぜ愛国者とグローバリズムと相性がいいのかというと、ファシズムもグローバリズムも経済と政治が直接結びついて、国民を排除するからです。

民主主義ってデモクラシー、デモス、つまりは民衆が中心となるから、なかなか資本家やブルジョワのような市場原理が働きにくく、国民間の議論を重ねるから変化の漸次性が強く、つまりはドリルとかリセットとか急進的な政策になりにくいわけです。

愛国者と言っても、国民に重点を置くか抽象的な国家に重点置くか、どちらを優先にするかでまったく違い、抽象的な国家に陶酔している連中はその変化(大日本帝国復活みたいな)の遅さにイライラして、ファシズム化つまりは、国民を排除して経済と政治を直接結びつけてたがるわけです。

グローバリズムもファシズムも皆、国家(国民国家)を中位と見なして、排除して原子化された世帯や私人に分解して直接支配するわけです。


【マルサスの人口論と熱狂的愛国者との相性は抜群】

路上でまずは始まるんやろうね。でも、路上で始まるほうが俺はなんか、チャレンジしてる感じがするけどね。路上なら頑張るんじゃないかな? なまじっか、これ(ネットカフェ)があるからさぁ! こんなもん蟻塚みたいなもんやから。みんなちょっと甘いなぁ」

これって、経済学理論と同じく共同体を破壊して、原子化された私人が労働力を商品化することを余儀なくし、資本家と賃金を強制的に飢えを動機にして交換させるわけです。
これでも飢えて死ぬならそれで均衡が保てるわけです。使いない国民が死んでくれてラッキーみたいな感覚です。こういう考えの人はなかなか口にはしないけど、障害者を国のお荷物として思い、本音は恐らくこうです。

”この世にいなければいいのに・・。”

これぐらいにしか思っていないのでしょう。事実、ナチスは障害者をそのように扱いました。

国民を同胞というよう有機的なゲマインシャフト的な対象でなく、単なる歯車・部品・消費者・顧客つまりはゲゼルシャフト的なものとして扱っているわけです。
なぜなら、万世一系で東洋で最初に近代化を遂げ、日露戦争に勝利し、かつてのGDP世界2位という実績、ジャパンアズナンバーワンという伝説に甘美し、それをいつまでも大切にして、その復興、ルネッサンスつまりは逆進的なことを考えているわけですから。

熱狂的愛国者の多くは、経済学的な均衡モデルで弱い国民が淘汰され消えてくれれば、抽象的な強い国家が誕生すると思っているわけです。
だから彼らは非常にグローバリズムと相性がいいわけなのでしょう。


【自分がされて嫌なことはやらない】

マツコさんはオネエ系ですから、世の中から異端扱いされ排除されてきたから、人としての痛みを知っているのでしょう。
自分と係わりのない価値観や境遇の違う赤の他人でも、知人と同じように平等に扱うわけです。なぜなら、

自分と違う人を排除すると、自分がされてきて苦しんできたことを、同じように他人に負わせることになるからです。

ここで、自分がされたことを他人にしたくないか、自分がされたから他人に負わせるか、二手に分かれるわけです。


【知らないからこそ配慮する】

それこそ、こういうのは世代間格差にみられて、浜省の歌に影響されて高校や大学を中退して、それでもどうにかなっていた世代と、バブル期における理系と同等の学費と奨学金を背負い、新卒一括で失敗したら残りの人生家畜決定となる世代とでは、まるで意識が違うわけです。

それこそ、消費税もなければ介護保険も医療費も軽負担(サラリーマンなんて1割負担でした。バブル期でも)、毎年給料は窓際族として在職するだけで上昇する、こんな経済成長期だったからこそ、自己責任とか言えていたわけです。
私立の大学の学費が年間60万円で、週三日の土建屋バイトで月16万円稼げ、時給2千円の家庭教師とか向こうから頼んでくる、こういうのが90年代の初めまでは普通だったわけです。(京大生とかの家庭教師なんてもっと金額よかったと耳にしてます。)

ましてや、グローバリズムにより都市部と地方の格差が拡大し、都市部に若者が強制的に仕事を求め移動したものの、経済成長期と時代は異なるわけで、結果難民となった例もあるでしょう。例えば高知東生さんの時代は路上暮らししだけど、どうにでもなりました。日雇い日払いで日給1万円以上で連続的に仕事あれば、どうにでもなるでしょうに。それが97年以前の状態だったのです。

自分の知ってる世界だけが世界の全てじゃなく、文化、言語、価値観の違いがあるのは確かで、まさにソクラテスのいう「知らないことを知っている」かどうかでしょう。

よく日常会話で「お子さんは?」とか子供カワイイとか無邪気に話する人いるけど、子供ができなくて苦しんでる夫婦もいるわけです。父親から性的DV受けた人もそうですし、初体験が集団による暴力だった人もいるわけです。
知らないことを知っていれば、実はこんな無神経な発言はできないと思います。
結構、私はよく冷たいとか言われますが、単に相手の私的領域に土足で踏み込まないだけです。

言いたきゃ、勝手に相手から言うだろうに。

 

 

 

 

 

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