日本財政破綻黙示録の否定は可能か


【なぜ会社は期末に在庫削減するのか】

販売店でも製造業でも勤めている会社で、なぜ期末に在庫削減するのか疑問に思う人がいるでしょうが、これは複式簿記の知識がある人なら当然の概念です。

売上高 ー 売上原価 = 売上総利益(粗利)
.      ↑
.    売上原価 = 期首商品棚卸高 + 当期商品仕入高 ー 期末商品棚卸高

簿記の知識のない営業マンだと成果が大体売り上げ粗利だけなので、費用のことも在庫のことも無頓着になります。
大抵、PBにこだわる財務省と同じく経理や社長が五月蝿く口を挟むぐらいです。

むしろ営業マンにとっては売り上げを上げるための実弾がほしく、期末にどれだけ在庫が残ろうと知ったことでなく、それよりも自身の成績の悪化を恐れ、商品管理部や経理に責任を負わせてでも過剰に在庫を抱えたがる傾向にあります。
注文がとれる機会の損失を最大級に恐れるものです。

だけどこういう抽象概念はマクロ経済学の三面等価の原則と同じく、上記の記録上の関係性は数字として明証化されているわけです。

なぜ期末に在庫削減を考慮するのかの理由は来期に負の遺産を繰り越さないためです。
期末で売れない商品をセールで売り飛ばすのも、こういう理由からなのです。売れない商品を抱えたままだと来期来来期にお荷物を抱え込むことになり、原価割れでも処分したほうが得策だからです。
型遅れ、流行おくれの製品、錆び劣化した製品なんて売れないでしょう。
(会社が儲けの多い時期では特別損失なり費用計上して、売れない製品を処分します。)


【三面等価の原則とは】

実は、日本は理論上で米国のデフォルトなり特殊な事態が起こらない限り、GDP比何倍で国の借金が子孫に残すのかとかまずありえないわけです。
あくまでも形而上の理論のことですからそれを上回る超理論が存在するのなら、この国の借金説に正当性が示されるわけですけど。

で、マクロ経済学のGDPも三面等価の原則も簿記のごとく概念です。

GDP ⇒ 生産面 = 支出面 = 分配面

代表的なのがよく目にする支出面であり以下です。

GDP=C(消費)+ I(投資)+ G(政府支出)+ EX(輸出)- IN(輸入)

かの有名なGDP算出方法を3%上乗せしたマジックは、このI(投資)の部分を研究開発費を加えることにより何をしなくても引上げられたわけです。(破産したエネルギー会社のエンロンが負債計上を資本計上して、黒字化してたとかの同類のテクニックです)

GDP算出法変更研究開発費加え3%押し上げ

まぁ結構、植草一秀さんらはこういう安倍政権の欺瞞をブログなり紹介しているわけですが、団塊 jr で半分、団塊世代以上はTVと新聞中心の世代なので、これらのことを顧慮することはまずありえず、大抵恥をかいたり叩かれるのが嫌で多数派の意見に隷従するわけです。

そういう意味では結構、三橋ブログが参考になっていたわけです。


【貨幣は記録上の存在】

実は、これも記録上のバーチャル空間においての出来事にすぎず、シュペングラーは西洋においての貨幣は複式簿記上の記録にすぎないと言及しており、実は貨幣の本質自体が労働力であるとか、金や銀などの硬貨としての金属であるとか、抽象的なものであるとか100年以上にわたって論争となり、実は私などに理解できるものでもないし、ただニクソンショック以来金属主義でなくなったことは事実です。

確か、マルクスもスミスも金属主義であり金属主義を基底としているからして、経済理論そのものがもはや正当性を保つのも困難だと、個人的には解釈しております。

日本ではカードを使用できることろが少なく、スーパーですらカード決済できない所が多く、今だに硬貨や紙幣そのものが価値があると思われがちですが、あくまでも貨幣にもとづいて行動を起こすことに意味があり、それは勝間和代さんも認めているところです。(公認会計士なら理論上の日本の破産がないことに気づいて不思議でも何でもありません)

ただ、企業の財務と国家財政の違いは通貨発行権があるかどうかであり、ゼロサムゲームをする企業と国家とはまるでめざすものが異なり、PBに固執するドイツのメルケル首相や安倍総理がなぜヒトラーになぞられているのも当然のところです。
PBを目指すと福祉やインフラ整備に至るまで何でも金儲けの対称になりやくなり、国民がタダの消費者でしかなくなり、これってミルトン・フリードマンの描いたディストピア社会であり、シンガポールなんてその最先端です。

ファシズムって経済と政治が直接結びつき、民主主義が蹂躙された状態が特徴であり、これをグローバリストは頑なに隠します。
グローバリストの多くが言論封鎖したり障害者や生活保護受給者や在日外国人らを標的にし叩くのも、経済と政治が直接結びついたグロテスクな状態からなのです。


【正攻法で最初は失敗するもの】

そこで複式簿記の知識のない人やマクロ経済学の基礎的な知識のない人に、どうやって理論上の国家破綻がないのを説明できるのかということですが、結論からして無理です。

三橋さんは小遣い帳と違うなど説明していますが、これらの説明が腑に落ちるにはまず上記のような基礎知識を有する必要があり、それは敷居が高く営業マンが日商簿記二級なり獲得して勉強する連中がどれだけいるかというと、まずごく少数でありえないわけです。

売って粗利稼ぐことが営業マンの仕事ですからそもそも会計などに関心などなく、給料アップや出世に何ら関係してきません。恥をかかないための一般常識として少しかじってもあまり効果ないでしょう。
ホワイトカラーですらこうなのですからましてや、工場員、大工や調理師、店員、主婦なんて尚更です。(ロックミュージック嫌いがロックを聴くようなものです)

そもそもTVや新聞が主体の情報であり、構成員の大多数がその影響を強く受け続いているわけで、この多数派が少数派の意見に耳を傾けるのは、かつての規範が役に立たなくなる時ぐらいしかありません。

実は、その機会となりえたのが東日本大震災だったわけで、もうこれに対して吉川晃司さんが「日本一心」などチャリティコンサートしたりしたわけですが、そうした人により軌道修正されるどころか逆に、グローバリズムという世論の暴走車が崖にまっしぐらに突っ込んでいったわけです。(過去ログ


【日本はDB超のビルス様のごとく寝てばかりです】

普通に考えて再び、東日本大震災クラスの危機がおとずれたり、北朝鮮の戦争に巻き込まれ再度核攻撃の被曝を受けるなり、リーマンショック級以上の世界規模の経済危機がおとずれない限り、この流れを変えるのは困難だと言えるでしょう。

リーマンショック時にはウォール街で学会の隅に追いやられた経済学者のハイマン・ミンスキーの理論が見直され「ミンスキーの瞬間」と注目をあび、タボス会議でポランニーの名が連呼されポランニーの亡霊が現れたという、これも少数派が多数派を取り入れることができる機会なのでしたのですが、米国とその衛生国を中心としてその逆の政策を打ち出したわけです。
既存の考えが通用しないとならない限り、人間は慣れ親しんだ思想にしがみつくものです。

それでも社会心理学的には、その時に備えて一貫して同じことをぶれずに言い続けることが必要であり、しかしそれが同僚にも市民にも叩かれる公務員のごとく、周囲が敵だらけでよほどの変人か屈強な精神の持ち主でないと無理なわけです。

しかし、世界が混乱に満ち、世論が真空状態の機会の際には笑福亭鶴瓶さんの逆バージョンで優しく、「憶えてるでぇ~」でなく「忘れてるでぇ~」とふわっとした多数派を優しく懐柔する必要があります。
TV番組「突然ガバチョ」のEDのごとく、番組観覧者と握手したり手をふるなど、わざとらしいリップサービスでもいいから加えると効果的でしょう。元イモ欽トリオの長江健次さんの大ヒット曲「飾らない言葉」をBGMに。

そして、日本人は目覚めるって巷でも流布されておりますが、まず歴史上一度でも目覚めた時代があったのか、それも検討することも必要でしょう。(DB超のビルス様じゃあるまいし、寝てばかりじゃないか。しかしそれ故に強いのかもしれません)

少なくとも、東日本大震災では目覚めませんでした。(一部を除いて)

ただそれでも、三分動画など興味をそそるものは大変有効だと思います。

 

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個人的には例えば「クラウディングアウトとは何だっけ」とかある場合、この本をたまに読み返しています。

 

 

 

 

 

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