社会科学の特徴と池上彰最強伝説


【議論を避けないリフレ派界隈】

私は割りと論敵ともいえる側でも評価しているのが、リフレ派が議論を逃げないことです。日本では議論することは空気を乱すこととなり、悪とされ八つ墓村のような村社会思想が今でも根ずいておりますが、しかしこのリフレ派界隈は西洋のように個がある意味確立できており、そこは評価するわけです。(エッジ効きすぎだろうってのもありますが、どこも同じ)

マンデルフレミングモデルの議論に関しても、彼らは逃げずに議論していたわけですが、数年前にリフレ派ブロガーで本も出版しており、某有名インフルエンサーの動画チャンネルにも登場している人のことですが、彼のブログのコメント欄は疑問を呈すれば大抵返答がかえってくるのでした。(まぁ、ブログ主は返す必要もないのですが)

これでも結構勉強になったのが、主流派の経済学の金利が一定とか貿易の影響を受けないとか、可笑しいのではないかとコメントを入れると、「物理学でも摩擦とか考慮しないです。だけど正当性がある。」と返答が帰ってきて、それに関してこう来るかと関心したわけです。


【従属変数と独立変数と所与の事柄】

まず、社会科学の特徴は(自然科学もそうですが)従属変数に大して独立変数を確定することです。
例えばデフレーションという現象を従属変数にあたり、これが貨幣現象ととれえるのがリフレ派であり、需要不足としてそこに公共事業により解決するというのがケインズ派であり、それらが独立変数となります。(私はあまり興味もなく詳しくもありませんが、こんなところでしょう。だいたい。)

まぁ、独立変数に影響を及ぼす媒介変数などもありますが、だいたい雑に説明するとこんな感じです。除外しても良いと思います。たぶん。

で、これに重要なのが所与の事柄であり、これは前提としている条件であり、これこそ金利が一定とか貿易の影響を受けないとか、そういう類に相当します。
例を上げると、マンデルフレミングモデルにおいて、大国にはこのモデルは採用できないというのは、所与の事柄に相当するわけです。

言ってみればこんなことは特殊な形而上での出来事にすぎないことなのですが。(これは社会学も同様です)


【遅刻するやつは何を言っても遅刻する】

よく何度注意しても遅刻する種族が皆さんの周囲にいると思います。
彼らに遅刻する理由などなく、遅刻するから遅刻するわけです。
彼らに遅刻という従属変数に、理由という独立変数を確定しろと大抵、几帳面な人間は攻め立てるが、いやぁそういうタイプの人間だからと私は諦めています。(集合時間をその人物だけ30分早めに伝えるとかしてればいいじゃんと)

しかし、これでは社会人としては通用しません。
そこで遅刻という従属変数に対して、理由をつまり独立変数をいろいろ探し出すわけです。会社の遅刻を例を上げると探したところで、理由はこんなところでしょう。

・会社が休暇が少なく残業続きで疲れていて寝坊した。
・残業代を踏み倒されてやる気がなくなった。(モチベーション・士気モラルの低下ですね)
・パワハラ・モラハラで職場に行きたくなくたった。
・不当な人事の評価にやる気なくなった。
・給料が安い。
・阪神が巨人にボロ負けした。
・非正規でやる気でない。

まぁ、これらはあくまでも遅刻したことに対して、あえて原因となるものを見つけ出す作業にすぎず、遅刻したから遅刻したに過ぎないわけです。

まぁ、さすがにどのいい訳も通用しないと予想すると、遅刻した従業員は時にはをつくことがあります。例えばこんなのです。

・妊婦を助けていた。

遅刻をした従属変数に対して、理由を述べてそのモデルは完成するわけですけど、これらの所与の事柄が「遅刻した社員のいい訳に嘘がないこと」だとすると、もうそのモデルは崩壊するわけです。

(従属変数) 遅刻したこと
(独立変数) 妊婦を助けていた
(所与の事柄)遅刻した社員の発言に嘘がないこと

イラク戦争の大義にも相当し、所与の事柄が「大量破壊兵器を隠し持っていたこと」であったのですが、これによりイラク戦争が自衛であるといい続けることが可能となったのですが、しかし大量破壊兵器が発見されなかったことにより、アメリカ人のまともな連中はもうこの戦争に関して閉口するわけです。
日本と異なり、ロゴスありロゴスの国民だからです。

これで「フセインが見つからないからと言って、フセインがいないことにならない。」なんてしたら、もう本来なら失笑者扱いになります。ただ、これらはもともな先進国であればのことに限りますが。日本はこういう意味では後進国です。


【均衡と機能】

で、経済学の所与の事柄は行動経済学や労働経済学は知りませんが、「各自が合理的に行動を起こす」というものを前提としてるわけです。主流派の経済学はたいていそうでしょう。
でないと、従属変数にたいしての独立変数を数字を関連づけた、物理学のような均衡モデルを適用できないからです。
小室尚樹氏が二度と日本が戦争に負けないように新型の原爆を開発するため物理学を学び、物理学と経済学と共通すると気づきそれで大阪大学の大学院に進むのも、納得できることであり、メルケル首相、マーガレット・サッシャーもともに、物理学を専門としており、彼女たちが均衡の陥穽にはまるのも割りと普通の現象なのです。
悪く言えば単純なのです。

これらの均衡モデルに対峙するのが機能モデル(こんなのあるかどうか知らないけど。社会学には構造機能論はあります。)であり、これは生物学と似ているわけです。

物理の法則は均衡であり石の温度は外気に影響され、外気が低い温度なら石の温度も低下し、石が熱くなると外気の温度とほったらかしていたら温度が下がり均衡を保つというようなものです。まぁグローバル経済がその典型ですね。

これに対して機能は生物の体温に相当し、寒ければ生命の維持のために脂肪を燃焼させるし、逆の場合は発汗して温度を下げようとするわけです。(チリの生物学者のキャノンが有名)
地方がインフラ断絶されて都市部に若者が集中するのなら、そこにインフラ整備をしIターン、Uターンなどの政策なんて機能です。地方交付金もそうですし、社会保障制度の充実も同様なわけです。


【感情が理性に敗北したことはない】

で、社会というものは有機体である人間により構成されているのに、こんな均衡モデルを適用させていいのかとなるわけです。
しかも、主流派の経済学は人間が合理的に行動すると所与の事柄にしていしまっておりこれが誤りであるのなら、それこそ遅刻した従業員の「妊婦を助けていた」のいい訳と同様となろう。

ここで私はルボンの「感情が理性に敗北したことはない。」という公理を採用します。まず人間が合理的に行動を起こすというありえないわけです。(利害と合理性とは異なります)

こうなると禁則事項の人の行動は、まぁそうなのかと思うわけです。だけどそれが彼の経済指標がくつがえさえることにはならないけど、多く日本人は個よりも私や集団の側面が上位にたちすぎているため、その理解にいたらないのです。

人格と理論の分離をってとこですが、人間性が上位にたつ池上彰さんが万人受けするのもわかります。いい人ぽいですね。
いや、彼が薄っぺらい考えをただわかりすく説明しているとか言ってませんからね。誤解してとらえないでください。
彼は秀逸で私は彼の教説を観測する度に、感動で涙が止まりません。たぶん。

 

 

 

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