社会の変動


【世代間格差と少数派】

普通に社会においての嫉妬、不満、敵意、ルサンチマンは望ましくなく、そんなことは半世紀ぐらい前からずっと研究されてきたことです。

経済的合理性のみ重要視しアフリカの貧困層に比べれば幸せとか、まずその意見自体何ら意味を成しません。
現に、南アフリカの富裕層に私たちは嫉妬することはないけど、隣人には嫉妬するわけですから、それも同胞意識をもつからの嫉妬であり、これは権利の欲求とも言えるわけです。(これも100年以上前から言われいることです)

前回のブログのジャネレーションギャップのそうですが、団塊とバブル、氷河期、ゆとりと全く状況が異なり、貧しくても中間層が高くて公立の中学でも努力すれば公立の高校進学でき、普通にパイプラインシステムの流れに乗れれば成功できたのです。
失敗してもそこそこが保障されていました。
山田昌弘氏はこれを希望格差社会と紹介しており、まぁ私はこのシステム自体がフェミニストやグローバリストらの攻撃材料になったのではないかと分析しているわけです。

まずこの少数派が社会を変動させることは、社会学や社会心理学では常識的に扱われています。


【インフラ財政出動派が異端という世の中】

この少数派モデルの典型例が社会心理学者のモスコヴィッシュのモデルだが、彼は「数の上でも劣り、権力・権威・名声が欠落したままでも少数派は影響を及ぼす。」と言及しています。

恐らく、私の偏見だけど藤井聡先生も最初からこれを目的とし、内閣官房参与として政局にかかわりながら一方では、次に到来するであろうグローバル規模の経済危機の際に備え、グローバリズムという規範の代わりとなる新しい(新しくもなんでもないですが)規範を用意していると思えます。
現にグローバリストの杉田水脈議員も強靭化の講演会かなんかに参加しており、これもサブリミナル効果的な何かぐらいはあるでしょう。たぶん。
まぁ、これがエリートの鉄板思想と言える所以です。

モスコヴィッシュは少数派が与える影響を「常識を見直すきっかけを与え、新しい発見や創造が生まれる。」「社会という開放システムは異端者を生み続けるおかげで停滞に陥らず、歴史の運動が可能となる。」と言及しています。

少なくともインフラ財政出動派はブルーオーシャンと言われているように、ある意味異端扱いされるわけです。なぜか。
グローバリストはもちろんのこと、左翼、リベラルまでも「コンクリートから人へ」と具合にカルト思想扱いを受けいるようです。

いや、いや、数字見てください。(これ三橋さんがよく言ってた)
都道府県のGDPとインフラの相関関係は密すぎるぐらいに密です。(過去ログ


【スメルサーの社会変動モデル】

あんまり長くなると主旨に逸れるので、スメルサーの社会変動理論を紹介します。
簡単に説明する以下です。

起動 →  緊張(ストレス)の蓄積 → 緊張の蓄積 → ①停滞と衰退
↓         ↓                  ②革命的運動による
起動力の融合   社会的復旧               停滞と衰退
(それ以上変動                     ③連続的な発展
は起こらない)                     ④非連続的な発展
.                           ⑤革命的な激動歪み

社会における嫉妬、不満、ストレス、敵意などが「緊張」にあたり、例えば格差などが起動力にあたります。たぶん。
実はこの緊張という心理面が非常に需要であり、絶対的な経済状況は生産能力が高い先進国には必需品が行き渡っており、主流派の経済学者やグローバリスト・企業家の多くはこれを非常に軽視するわけです。

2:8の法則で有名なパレートもエリートの周流という社会の変動モデルを示しましたが、彼も残基という人間の心理面が先であると言及しています。

簡単にいうと格差(世襲、性差、民族、経済、地域)というものを放置しておいて、何も問題にならなければいいわけですけど、緊張が蓄積されそこで政府がなんらかの対策をするのなら、社会的復旧が行われればそれ以上もう社会の変動は起こらないわけです。

例を上げると、フェミニストの運動などにより1985年に「男女雇用機会均等法」が施行されその結果として、結婚・出産・育児までが社会・国家が面倒見ることが保障され、性差に関係なく出世できるという社会の構築がなされるようなことできていたのなら、社会的復旧が実現されたといえよう。

しかし、30年以上前の施行されたこの法律は事実上何ら効果がなく、次の局面に移るわけです。
現在、最終局面がどこに当てはまるかが試されているわけで、どうなるかは随時表出する変数から分析しないとわかりません。(ああなればこうなるくらいの予測は立てられますが)
今はフェミニストらに、カツマー(勝間和代さんのファン)というグローバリズム色の強い新しい少数派が加わり、これに山尾しおり議員のような保育園の問題などに配慮するリベラルが加わっているっていうところでしょう。

ちなみにスメルサーの社会変動モデルの①停滞と衰退はシュペングラーの文明の衰退に相当し、⑤革命的運動によって歪められた社会発展はマルクスの革命論に相当します。

③の連続的な発展が恐らく自民党が目指している着地点であり、社会変動の分化ー統合モデルに近く、反対する人々への統制ができるかどうかにかかっているわけです。
(例)共謀罪、特定機密保護法、ヘイトスピーチ規制法、マイナンバーのよる完全管理体制、TVドラマに企業よりの内容を刷り込む、報道メディアへの介入、訴訟による言論統制

端的に言えばディストピア社会です。


P.S

よく経済評論家なりジャーナリストなり予見を見誤ったとか糾弾する人がいるのですが、まぁ天気予報すらはずれることはよくあり、多種多様な感情任せで行動起こす有機体の総体である社会や国家の動きなんて法則で説明できるわけもなく、それこそマルクスの革命論という1本の世界線を預言書を信じるが如く、インフルエンサーの判断に依存しても仕方ないということです。

競馬の予想屋の3連単がはずれて逆切れするようなものです。
最近では東日本大震災によりその復旧の選択が迫られたわけですが、残念ながら今のところは逆方向(国家分裂・崩壊)に世論も政策も移っているように思われます。

社会的存在としての人間なんて不確実性から次の起こることをあらゆる可能性を考慮して、社会科学なり何らかの指標や選択、政策の材料として利用するぐらいしかできないわけです。

 

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ジェネレーションギャップ


【少子化で保育園が足りないとは】

まぁ、杉田水脈議員が結構叩かれているようですね。

不思議に思うのがなぜ少子化で保育園が足りないのかということですけど、私は団塊jrですけど保育園が足りないという現象はなかったと思います。
子供の数が多すぎて高校に入学できず浪人したり、中卒で職人になったり職業訓練校に進学する例もありましたが、保育園が足りないことはなかったわけです。
伝説となっているのが駒澤大学の受験の競争率が100倍で、だいたいの大学の6割以上が浪人生だったと思います。
これは普通にジェネレーションギャップでしょう。

で、昔はオイルショックを経験しながらも池田政権の所得倍増計画の流れを邁進し、年々給料が上昇するのが当たり前で中間層が非常に厚かったと思われます。
つまりは多くの世帯が、旦那の稼ぎだけで十分生活でき、カラーTV・冷蔵庫・洗濯機とそろった後はローン組んでマイホームに自家用車の時代に以降していったのが70年代後半だったと記憶しています。

そもそも旦那の稼ぎを補填するために、本来外で働きたくもない人が、子供を保育園にあずけてでも稼ぐ必要があるという、そういうのは端的に言えば中間層が破壊されたからでしょう。

少子化で保育園が足りないって現象が、私たちの世代からすると珍現象なのです。


【男女雇用機会均等法とは】

こう発言すると、「女性の社会進出が」と反論する人もいるでしょうが、日本って結婚して仕事して出産して子育てこの三つをこなしている人って、まさにマイノリティだと思います。
一般職の女性ですら出産にあたりパートタイムに降格しないともう会社にいられないわけです。
大体、大手優良企業でない限り結婚、出産、育児といった穴を埋めれる企業など希有であり、社内の重圧に耐え切れず出産・育児にあたり退職し、子育てが終了した頃再就職してもパートぐらいしかないわけです。

篠原涼子さん主演のTVドラマの「庶民の敵」でも、簿記1級の取得している女性がパートタイムしか仕事がないといったシーンがありましたけど、簿記3級の未婚の女性の総合職の人の方が正社員で立場が上なのです。これが日本の実情です。

確か今から30年以上前に「男女雇用機会均等法」が施行されたわけですが、まったく何も変ってないですよね。保守は変化の漸次性といいますがいや、何も変ってないでしょってこと。


【フェミニストかグローバリストか隷従かの選択】

このことに異を唱えたら「男は外、女は内。これが日本の伝統だ。」と糾弾されるわけですが、もう何十年もこれに抵抗してきたのが社会学者のフェミニストの田嶋陽子さんや上野千鶴子さんらの枠であり、まぁ左翼扱いされるわけです。

これで福祉は共産主義、コミンテルの思想で家族制度を解体するとか、なんかよくわからないことを言い出すわけですけど、いや、共同体、家族の破壊の過程が近代国家・資本主義の十八番でしょってこと。
教育を家庭から教育機関が担当し、労働を生活から商品とし分離させ、労働時間と休暇を分化しレジャー産業が発達し、一人の人間が身分としてでなく契約に基づいて多面性を有するようになったということです。

この変化しない構造のまずいのが、必然的にフェミニストに更に新しいマイノリティが加わることです。
この例を上げればグローバリストです。
勝間和代さんなんてその典型例で丁度「男女雇用機会均等法」が施行されたあたりから国家に対して懐疑的になり、その時に出くわしたのが大前健一さんの本だったわけです。グローバリズムとの出会いです。
フェミニストにならなくとも結婚・出産・育児ができる別ルートを見つけたわけですが、勝間さんの予想はずばり的中しており慧眼であり、30年以上たっても日本は働く女性に対して冷酷なまでの扱いをしていたのでした。

勝間さんは別ルートを選択してよかったですねと言いたいわけです。個人としては。


【バブル時代に放置していた問題が今】

私は恐らく頑なに変化を拒む勢力がいて、抑圧されている少数派勢力(フェミニスト)がいて、それでも当然変化を拒むわけですから新たな抑圧されている少数派(グローバリスト)が誕生し、その結果の今の構造改革を支持されている日本なのではないかと分析しております。(社会学では普通に分析されてます。緊張として。)

こういう意味ではグローバリズムにガソリン注入し続けたのは、逆に保守なんじゃないかと言えるわけです。

もうこんな問題は社会の一要素でしかなく、私が気づいていない所でもこれでも頻繁にこういう危険な因子は多数あると思います。
ジャネレーションギャップなんてそうですし、団塊ーバブルー氷河期ーゆとりとこれだけであらゆる意味で格差が生じており、この問題も手付かずにしているのも非常に危険なわけです。

バブル期の私立文系の学費とゆとり世代の国公立の学費が同じであり、しかもゆとりであると私立の中学と公立とでは学力の差が激しく、奨学金かかえてまぁ新卒でそこそこの会社に就職できなくて自殺とかしてもある意味仕方ないと思います。いくら宗教上の問題を言われたところで。お笑いのくりいむが大学中退できたのは、どうとでもなる希望がもてる時代だったからです。

貧乏でも公立の偏差値の高い高校に入学し努力したから成功とかなんて、今ではバブル期の淡い夢でしかないといえよう。

別にバブル期が幸せであったと言えばそれについては非常に懐疑的であり、バブル期の週刊スピリッツの柳沢みきおの漫画「妻をめとらば」の最終話なんて衝撃的で話題になり、ガリガリに痩せた過労死寸前のサラリーマンの悲惨さを描写していましたし、草薙剛さん主演のドラマにもなった「いいひと」も、過労死で死んだ旦那のことを問題にしています。
24時間働けますかとCMでありましたが、働いたらダメでしょ。

バブルでも過労死は問題になったのですが、それを放置し構造改革によりデフレが深刻化し、そのデフレを逆利用して急成長した大手企業ばブラック化し、その負の連鎖が継続しているだけなのです。
「亭主元気で留守がいい」という言葉は経済成長期の専業主婦の口ぐせで、今では亭主は稼げないからパートで稼ぎの低い旦那の収入の補填をしなければならない。だけど保育園が足りないという状況なのでしょう。

まぁ、子供の多い団塊jr世代で足りていたのですから、フォローして増設する必要なんてないと政府与党は思うでしょうね。
事実、大学や高校は統廃合してるのですから。


P.S

こういうある問題の影に別の問題が胚胎していることなのですが、例えば今チーム沖縄のことが問題になっていますよね。

だけど、私は東北がこのまま放置するのなら、まじでやばいと思っています。
戊辰戦争からのルサンチマンに加えて、3・11の震災に原発事故と起こり、それで農協解体されてTPPに公共事業がPFIと外資に食われる。
その一方で中央政府(東京)が東京オリンピックで浮かれているんですよ。これ、えぐいわけです。

で、先祖が賊軍扱いとして祭られていない靖国神社に熱狂的になっている右派のグローバリストが、どのように東北の人の目に映るのでしょう。
普通に考えてやばいわけです。

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アニメ・PSYCHO-PASSサイコパス①


【アニメ・サイコパス】

 

私はアニメサイコパスの一期のBDと劇場版のBDをもっており、劇場も見に行きました。wikiの説明ではこうあります。

>舞台は、人間のあらゆる心理状態性格傾向の計測を可能とし、それを数値化する機能を持つ「シビュラシステム」(以下シビュラ)が導入された西暦2112年の日本。人々はこの値を通称「PSYCHO-PASS(サイコパス)」と呼び習わし、有害なストレスから解放された「理想的な人生」を送るため、その数値を指標として生きていた。

>その中でも、犯罪に関しての数値は「犯罪係数」として計測され、たとえ罪を犯していない者でも、規定値を超えれば「潜在犯」として裁かれていた 

>そのような監視社会においても発生する犯罪を抑圧するため、厚生省管轄の警察組織「公安局」の刑事は、シビュラシステムと有機的に接続されている特殊拳銃「ドミネーター」を用いて、治安維持活動を行っていた 

>本作品は、このような時代背景の中で働く公安局刑事課一係所属メンバーたちの活動と葛藤を描く。

端的に説明するとシビュラシステムというわかり易く説明すれば、AIみたいな人工知能のシステムが厚労省のタワーの地下に一極集中して管理されており、その判定基準が司法の代わりとなり、その判定により犯罪係数が規定値に到達すると犯罪者として罰せられたり、また就職先もこのシステムの適性判断に従い決定されるというシステムです。(まぁ、このシステムが犯罪係数計測不可能の規定外のいわゆるサイコパスらの脳の終結したものなのですが、それは極秘となっております。)

判定基準を規定値を超えた人は潜在犯として、厚生施設に送られ治療するわけです。(そうなるとほとんどが改善の見込みなし)

それでドミネーターという銃に代わるものが、相手に銃口を向けると厚労省の地下にあるシステムまでその情報が転送され判定基準がをはじき出され、相手を気絶させたり時には処分(粛清)するわけです。
このアニメの世界は、行為により法により法廷で裁かれるのでなく、その場でAIみたいなわけのわからないシステムの判断により、行為でなく心により裁かれるわけです。

そこで監視官という警察官がドミネーターを使用し裁けばいいのですが、容疑者と接触したり裁いたりすると犯罪係数が上昇するので、犯罪係数が規定値をオーバーの潜在犯であるが、まぁそれなりに使える猟犬としての役割が執行官という役職の人がいるわけです。
わかりやすく言えば、犯罪者に犯罪者を裁かすわけです。

 


【一期は狡噛と槙島の戦い】

一期の内容なのですが常守朱というおかっぱの主人公の女性がいて、部下に狡噛深夜という元監視官(超エリートで身体能力も高く知的)の潜在犯の執行官がいるわけですが、この狡噛もある事件により犯罪係数が上昇して潜在犯になり、しかしシビュラの判定により執行官としての役割の選択か、厚生施設で檻の中にいるかの選択を迫られ、そこで前者を選んだわけです。(上のおかっぱの女性とツーショットになっている男性です)

で、その犯罪係数上昇の原因となった人物が槙島聖護であり、この人物はシビュラ判定できない特異体質であり、そのため裁きを免れ狡噛の同僚が彼により残忍な殺され方をして、狡噛はその同僚の仇討ちだけをこう考えるようになるわけです。(下の白髪の人物が槙島聖護です)

 

まぁ、単純に言えば同僚が殺された敵討ちをする狡噛深夜と、シビュラシステムそのものを特異体質故にその破壊を試みる槙島聖護二人の戦いなのです。そこに主人公の常守朱がからんでくるわけです。


【脚本は虚淵玄】

まぁ、このアニメを知っている人なら説明がいらないところなんですが、このアニメの面白いのは狡噛と槙島の二人ともエリートであり(あった)、インテリであり、格闘などの身体能力も高く、それでいて狡噛と槙島の二人は似ているところなのです。
一期と劇場版の脚本は虚淵玄です。

で、この狡噛深夜はかつては職務を通して社会の鋳型にはまっていたわけですが、槙島聖護の犯罪により潜在犯に陥りこの槙島聖護を追うにつれて、槙島聖護のようになるわけです。

もともと狡噛は知的でありこの物語の面白いところは、会話の中にウェーバーやオルテガやパスカルやベンサムなどの人物の名が出てくるところです。

(次回へつづく)