富の再分配とグローバリズムとルサンチマン


一部の活動家の中には公務員と民間の待遇との差異をなくすという考えをルサンチマンととらえる人がいるようです。公平であり平等であるのは共同体の構成員としては当然の理念であります。ただし帰属意識があればです。

これに対してグローバリズムは各国の庶民を労働力という商品に見立てて、一方では労働力の搾取をもう一方では利益を上げるために別の消費者に販売と、搾取と消費とを国を隔てず交互にその運動を展開していくことでしょう。

グローバリズムに反対するということは庶民の生活を保護するためにいわば、法的規制により防波堤を立てることでしょう。その目的は共同体としての構成員の生活を守るためなのですが、やはり構成員同士は平等なのです。ただし、それはその共同体内での役割分担などを全体とした場合です。

グローバリストの代表として小泉純一郎氏は「成功した他人を妬む社会はゴニョゴニョ」と発言したのも、竹中平蔵氏の「貧乏を楽しみなさい」「生きてるじゃないか」と発言したのも確かに彼らの理にかなってるわけです。共同体としての社会は度外視されているのですから・・。

なまじ国や社会に帰属意識をもつから、兄弟姉妹あるあるの「お兄ちゃん(お姉ちゃん)だけずるい。」「弟(妹)に甘すぎる」と嫉妬を抱くわけです。いわゆる家族内でのルサンチマンが生れるわけです。そういう意味では「公務員だけずるい。甘い。」は日本国に帰属意識をもつ庶民としてはごく普通の感覚なのです。

わたしからすると、国家の本質はコモンウェルスでただの共通利害の他ならず、もはや公務員は国家の守護的役割・中間層・革命の安全弁の役割でしかないわけです。同じ日本人と思うから同じ構成員と思うから、ルサンチマンが湧き出してくるわけです。

構成員の多くが成功すればルサンチマン総量は激減するが、資本主義社会では労働力が先進国よりも遥かに低く成長しない特殊な場合を除きありえません。日本は特に自給自足できないし経済成長するに従って賃金も上昇して頭打ちに合います。もうこれは資本主義の宿命だと思います。

P.S グローバリズムを叩きながら富の再分配を否定する活動家の論拠を理解すること自体が愚の骨頂です。なぜなら活動家は論客ではなく、あくまでも目的を達成するための活動がそのものの存在でしかありません。その活動を正当化するデーターや思想を仮託して活動を続ける。それだけです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA