帰属意識


帰属意識は戦後つくられた社会学の造語です。

もはや帰属意識とは一般の人まで認知されていますが、複雑な現代社会に生きる我々にとって所属している集団は唯一なものでなく、例えば会社、家族、趣味の仲間、学歴、国家、地域などほとんどの人が複数の帰属意識を有しています。

先日、私は東京の秋葉原に観光したわけですけど、当然外国人の方も多くいらっしゃっていました。

オタク文化の聖地に各国のアニオタが集結したわけですw

中国人、韓国人、アメリカやその他各国のオタが聖地巡礼していたわけです。その時、私はこう感じました。

同じじゃないかw

アジア近隣諸国とは国家感では軋轢が生じ、ネトウヨにとっては目の敵でありますが、そもそも東日本大震災で復興支援と言いながら、東北の嫌がるグローバル化を推し進め農協解体までに追い込んだ日本政府とそれを支持した連中と無関心層にもう飽き飽きしていたわけです。

いや、いや、もうこんな連中を同胞と思えるわけなんてありえないし、ドリルで同胞弱者を蜂の巣にすることに賛同している連中って、ホロコーストを支持しているのと同様で言葉もないわけです。

そういう意味ではアキバのアニオタの外国人のほうが親近感を抱け、むしろ彼らのほうが同胞のような錯覚すら覚えたわけです。

P.S 蓮舫の二重国籍で騒いでいるあっち方面の人は同胞がドリルで蜂の巣状態になるのを助けてあげてください。偽物を偽物と見抜けない人には政治を語るのは難しいでしょう。

 

富の再分配とグローバリズムとルサンチマン


一部の活動家の中には公務員と民間の待遇との差異をなくすという考えをルサンチマンととらえる人がいるようです。公平であり平等であるのは共同体の構成員としては当然の理念であります。ただし帰属意識があればです。

これに対してグローバリズムは各国の庶民を労働力という商品に見立てて、一方では労働力の搾取をもう一方では利益を上げるために別の消費者に販売と、搾取と消費とを国を隔てず交互にその運動を展開していくことでしょう。

グローバリズムに反対するということは庶民の生活を保護するためにいわば、法的規制により防波堤を立てることでしょう。その目的は共同体としての構成員の生活を守るためなのですが、やはり構成員同士は平等なのです。ただし、それはその共同体内での役割分担などを全体とした場合です。

グローバリストの代表として小泉純一郎氏は「成功した他人を妬む社会はゴニョゴニョ」と発言したのも、竹中平蔵氏の「貧乏を楽しみなさい」「生きてるじゃないか」と発言したのも確かに彼らの理にかなってるわけです。共同体としての社会は度外視されているのですから・・。

なまじ国や社会に帰属意識をもつから、兄弟姉妹あるあるの「お兄ちゃん(お姉ちゃん)だけずるい。」「弟(妹)に甘すぎる」と嫉妬を抱くわけです。いわゆる家族内でのルサンチマンが生れるわけです。そういう意味では「公務員だけずるい。甘い。」は日本国に帰属意識をもつ庶民としてはごく普通の感覚なのです。

わたしからすると、国家の本質はコモンウェルスでただの共通利害の他ならず、もはや公務員は国家の守護的役割・中間層・革命の安全弁の役割でしかないわけです。同じ日本人と思うから同じ構成員と思うから、ルサンチマンが湧き出してくるわけです。

構成員の多くが成功すればルサンチマン総量は激減するが、資本主義社会では労働力が先進国よりも遥かに低く成長しない特殊な場合を除きありえません。日本は特に自給自足できないし経済成長するに従って賃金も上昇して頭打ちに合います。もうこれは資本主義の宿命だと思います。

P.S グローバリズムを叩きながら富の再分配を否定する活動家の論拠を理解すること自体が愚の骨頂です。なぜなら活動家は論客ではなく、あくまでも目的を達成するための活動がそのものの存在でしかありません。その活動を正当化するデーターや思想を仮託して活動を続ける。それだけです。

ルサンチマンと帰属主義


マルクスは人間の意識がその存在を規定するのでなく、社会的存在が意識を規定すると唱えていました。人間存在を生産活動を営む動物と定義しております。

社会学に代表される社会科学は自然科学同様に唯物的であり、帰属意識というものも人の本質的なものを軽視する傾向にあります。その帰属意識とはいかなるものかを詳細するとブログでは長文になるので割愛しますが、帰属意識はその成員が所属している集団が外向的むける意識だというものだと思います。要するに、自己を環境において重要視するか内面において重要視するかだと思えば差し支えないでしょう。

人がその集団において帰属意識をもつと当然その集団に対して愛着をもつわけです。その人は神と契約した個人でもなければ近代思想におけるような原子化された個人でなく、その集団での役割分担などにおいてアイデンティティを確立するわけです。しかしながら構成員にとって所属している集団はまさに共同体であり、そこには平等の思想が強くなるわけです。

共同体に代表されるのが家族ですが、まさにゲマインシャフトを表象したものであり、よく「お兄ちゃんばかりずるい!」とか「お母さんは○○に甘すぎる!」とか兄弟姉妹の多い家庭ならではのあるあるの会話はこの平等の思想からきてるのです。

こう記述すると、「父親と母親と子供が平等のわけがない!」とつっこみが入るでしょうが、それは役割分担の相違から生じるものであり、少なくとも兄弟姉妹間では平等である考えが基底とされているのです。

愛国者というものはその国に対する帰属意識が強いといって過言ではないでしょうが、そこには仮に日本という国家の構成員としては平等の思想が明らかに当然強くなるわけです。経済社会学の分野では男性は公正女性は平等を重要視されるのも家に対する共同体に対する意識が強いからだと思われます。嫉妬という字が女偏であるのはあながち間違いではないのですw構成員間の配分を考えれば平等が一番理にかなっているのです。

さて、本題に入ります。

嫉妬は同じレベル認識している対象において抱くとされております。この命題を前提とすると木村拓也に嫉妬を抱かないごとく、同じレベルつまりは同じ構成員という認識がなければ抱かないわけとなるのです。

例えば、北朝鮮や中国共産党の高官、南アフリカの富裕層、アラブの石油王(ベタなネタ)に通常、私たち日本人は嫉妬など抱かないわけです。なぜなら、その国に帰属意識があるわけでもなく同じ構成員ではないからです。彼らに対してルサンチマンなど抱くわけがありません。

こういう意味では日本国内で公務員叩きなど身分保障がされている職業を叩く心境、ルサンチマンは敵とみなしているのでなく不公平感からくる帰属意識の表れ以外に他ならないのです。そもそも敵というものに対して帰属意識など存在しません。もし公務員を敵とみなすなら革命を起こしてでも敵を排除するでしょう。攻撃して危害を加える敵なのですから。だから、不満を口にするだけで行動に移らないわけです。

国家や地方自治体に対して帰属意識が希薄であるなら、ルサンチマンはかなり軽減されます。そもそも国家を共同体と見なすこと自体誤謬であり、テンニースが言ってるが如くゲゼルシャフトそのものです。

ホッブスが国家をリヴァイアサンという怪物に表象し、ロックが自己保存のための共通利益集団、コモンウェルス以外の何物でもないのです。

共通利益・利害が一致しなくなると共同体内で分裂が生じ、対立構造が生じ、革命・暴動が起こるわけです。

なぜ、日本で暴動が起こらないのか?

ルサンチマンがはびこっているからです。

今だに国家に対しての帰属意識が強烈であるからです。

帰属意識が希薄になり日本にいると惨めな一生で終わると確信した女性を中心とした若者は早くに外国に脱出するし、逆に日本での役割分担で益を確保できると確信した人はその既得権にしがみつく。そして、所謂、負け組確定となった若者は残りの消化人生に絶望し自殺をしたり、はたまたルサンチマンを抱き続けるわけです。